2008年12月26日金曜日

需要創造で難局を乗り切れ!!

今の経済状況を乗り切るために、政治的に一体何が必要なのでしょうか? 弱者救済の為の一時的な金銭の支給では根本的な経済の建て直しには繋がらないのではないでしょうか? 金が欲しいのではない! 仕事が欲しいのだ!! が現在の状況なのでしょう。

であれば、政治的にしなければならないことは?
 需要の創造 だと思います。 

 どうやって?
  例えば自動車だったら、環境対策車に対して、時限立法で取得税を半額以下にする、また、自動車税、従量税等も大幅な軽減措置をとり、環境対策車への買い替え需要を促す。 ここで環境対策車の定義を、”過去3年間の同一カテゴリの自動車の平均に対して20%以上二酸化炭素排出を抑制した物”のようにすることにより、更に買い替え需要を継続的にすることが出来ます。  これで、一時的に需要を創出する事が出きると同時に、低炭素消費社会への移行を促すことが出来ます。

  自動車以外では? 同様に、二酸化炭素の平均的な消費量を計算し、それに対して一定の改善の見られる物に対する税制上の優遇措置を講ずることにより、低炭素社会への移行を促すとともに、買い替え需要を創出するー取得税が無いので、消費税を例えば、5%ー>1%にするとか、、、。 (自動車税のような仕組みが無いので、非効率な旧タイプを使っていることに対するペナルティを掛けにくい部分に少々問題があり、自動車の様にクリアな物にはならないかもしれませんね。)

 とにかく、今は 需要の創出(ほとんどのニーズが満たされている以上、買い替え需要の創出)が政策的に必要なのではないでしょうか?  太陽電池等の自然エネルギーの利用に付いても、大幅な優遇措置を採ることにより、低炭素社会への移行を促進すると共に、新たな需要創造に繋がる物と思います。

 日本人は、完成された技術に基づく製品にしか興味を示さないように思いますが、低炭素や自然エネルギーなど新しい分野ではこれを待っていたら10年以上先のことになってしまい、世界から取り残されてしまいます。 今こそ、開発者、製造者そして消費者が一眼となって、”禍転じて福となす” を実践するときではないでしょうか。

2008年12月22日月曜日

農業は非科学的で教育はいらない?

「どうせ俺は百姓の倅で、勉強なんかする必要ない」と言っていた算数のメッポウ強い小学校の頃の友達のことを思い出します。 江戸時代の士農工商から、ずっと農業は非科学的で教育よりも経験の産業、という雰囲気が有ると思うのは私の偏見でしょうか? 
一応、農学部を卒業して、農業関係の仕事を30年して、結局は「科学がそこまで追いついていないから、農業は経験に頼った方がよい結果が出てしまう」と個人的には結論付けています。 
 個別の科学は、其々それなりの成果を上げているのでしょうが、複数の組み合わせの結果としての農業生産という結果にまで繋げる所までは至っていないように思います(これは、数学的には組み合わせが多すぎて永遠に無理なのかもしれませんが、人間の経験がそれなりの結論を出し、それなりの精度を持っているので、何らかの科学的方法が有ると思うのですが、、、)。

 色々な組み合わせ、それも状況によって重みが違う組み合わせ、という事を考えると、個別の数学的な推論をWEB上で任意に組み合わせて、結論を得るような、一つのパッケージで処理するのとは根本的に異なるアプローチが必要なのかもしれません。 

 そういった研究の場としてのWEBを考えると、生産履歴、気象情報など多くの情報が広く公開されることにより研究が進み、ブラックマジック的農業から、科学的農業への転換が図られる事が望まれます。  私が学生の時代は、植え付けからの積算温度を計算するのさえ、実際に温度の記録を自分で紙に書き込む所からしなければならなかったことを考えれば、データがCSV等で入手可能で、色々と分析が可能な今の時代、もっとこの分野での進歩が期待されます。

地方自治がするべき事!?

地方へ行くと、土木関係の事業者が異常に多いように思います。 多分、過去の補助金行政による公共事業への経済の最適化が進んだ結果なのでしょう。 そして、小泉改革の所為で、ここが決定的に打撃を受けているように見受けられますが、これを昔に戻して、公共事業で救うような方向の政策は、残念ながら問題の先延ばしにしかならないのではないでしょうか? 中小の土木事業者が大規模農業の母体になるとか、色々な模索がなされている所で、昔に戻すような方向性は全体に悪い影響を及ぼすのではないでしょうか?
喫緊の経済問題はちょっと置いておいて;
 地方の行政が本当にしなければならないことは何でしょうか?
  1)教育
  2)福祉
  3)企業誘致
私は、これだけだと思います。 1)が無ければ3)はありませんし、3)が無ければ優秀な人材は流出してしまいますので、1)が地方に悪い方向に働きます。 そして3)は財政の健全化には必須の要件でもあります。 
 自分が、親の死に目に遇う事ができなくて、「やっぱり、親が年取ったら、親の近くに住んでいるべきだろうな」と思っていますので、特に1)と3)は両輪の様に大切だと思います。 
 そして、中途半端な目標に向かって進むのではなく、「どんなことでも”日本一”を目指す」心意気が地方を変えるのではないでしょうか? 通信とか交通インフラが整備されている昨今、都会と地方の差は人口密度だけで、必ずしもビジネスに必須の要件ではないと思います(都会にビジネスが集中する必然性はない?)。

 少々辛い経済環境で、来年はもっと悪くなるのかもしれませんが、これを機に外部依存(米国依存、交付金依存、、、)の考えを見直し、自分の住む街を良くするために自分たちがしなければならない事を、其々が自ら問うて地方が活性化される事を切望します。 まずは、「自分たちの街はーこんな街ーになってほしい!」という大きなコンセンサスの形成が必要でしょう。

2008年12月18日木曜日

日本農業の危険性(売渡価格が見えない!)

 政府の作った米市場は流通量が少なく、開店休業状態。 業者(外食やスーパーを含め)が農家と相対で価格を決めている状態だと、相対取引の価格実態が全く見えなくなり、これは結果として、生産者に非常に不利な価格交渉を強いることとなります。

そもそも、戦前から有った「農協」、本来の仕事は小規模農家が買い叩かれないように、売渡価格に対する影響力を増すために出来たものだと思います(戦前は米は自由市場ー米相場や神戸の鈴木商店で分かるようにーで取引されていました。 勿論、共済とか、生産技術の共有等も有りますが)。 

 戦中からの統制経済の延長として、戦後も食管制度のもと、生産量も生産価格も政府が決める状況で、農協の役割が「政治力を発揮して生産米価を上げる」事にかわり、規模を利用した資材の調達価格の低減にも影響力を及ぼすことになりました(肥料は成功、農業機械は完全に失敗、農薬は??)。

 しかし、現在では政府が米を買い取ることもなく、価格を決めることも有りません。 この様な状況にあって、農協の役割って何なのでしょうか? 旧態然とした考え方、政治力を発揮して組合員を守る、では成り立ちません。 自分たちの食い扶持の為に自分たちの道を切り開く。 その為には販売価格を、少しでも上げて、販売数量を伸ばして、組合員の収入の増加、安定化を図ることではないのでしょうか?

 多くの農家が、農協離れを起こし、「付き合いで一部の米は農協に回すけど、直接販売が主」という農家が非常に多いように思います。 しかし、先に述べたように、相対取引の価格が見えない所での価格交渉は、個別農家ーそれも規模が大きいとは言えないーにとっては条件が悪すぎます(どんどん価格が下がることになります)。

 農協は、合併農協単位ではなく、管理できる範囲で「ブランド」として、生産管理を徹底し、食に対する安全と品質を強調した一定規模の販売数量を武器として、もっと積極的に販売価格の上昇に力を入れるべきではないでしょうか? その為に、営業マンを雇用することも必要でしょう。  

 資材を値切ることに人件費を使っても、10%も下がらないでしょうし、その人件費をまかなうことで消えてしまいます。 

 生産者価格と消費者価格の間には2倍程度の差は有るはずですが、本当にその価格差に見合う流通業者の役割が担われているのか、産地偽装とか、最近の後を立たない流通業者のモラルに関わる問題を見るにつけ、もっと農協が価格決定力を発揮するよう努力するべきだと思うのですが,,,。

未曾有の経済危機と対応??

失われた10年は日本だけの問題でした。 結果として、コストを抑えて輸出競争力を上げることで、何とか克服できた様に思います。 しかし、今度は世界全部で同時に起こっています。 今までの、企業の競争力を上げて輸出を伸ばして困難を克服する方法は通用しないのではないでしょうか? (一体、何処の誰が買ってくれるのでしょう? 中国だって米国とEUに依存しているのですから)。

企業のステークホールダーについて考えてみましょう;
 株主、従業員、企業の有る地域社会の3つだと思うのですが、米国流の企業統治でいえば、株主、株主、株主ですね。
経済は単純な算数の式で表されますが、実は正帰還(正のフィードバック)が掛かっており、給料が増えれば、購買が伸び、企業の生産が伸び、給料が増える、、、、、というループをたどります(そして、多分何処かで、今回のようなことになる?)

 従って、大昔のフォードのように(自分の従業員に車を売る)、何処かの企業が、消費に火をつけて経済循環を促進する事をしなければならないのではないでしょうか? 日経連等の打ち出している方針は、米国流の企業統治に基づく考え方で、明らかにこの時期にこの問題を克服する方法としては間違っていますし、今回の経済危機を乗り越える方針としてはあまりにもお粗末だと思います。
 これを期に、国内の消費を上げることにより、自律的に経済を再生させて今までの輸出依存の経済からの転換を図ることを期待したいのですが、、、。 しかし、ほんとに、欲しい物が無くなったのも事実ですね。 「ECO換え」というコマーシャルがありますが、もっと政治的に消費を将来方向で創造することを積極的にやるべきですね、この際。
 それにしても、「口だけ内閣」ですね。 高速道路料金でさえ、何も変わっていないけど、もうガソリンは安くなっています。 経済政策は時期を失したら何もならないのに,,,。

 ついでに、日経連の会長さん、失敗しましたね。 関連子会社の契約社員の打ち切りのあの発言はないでしょう!! 大分県とか、あそこらの仲介業者の株を上げる事に協力してしまって、結果として自分たちの評判を落としてしまった。 (仕事も無いのに雇うわけには行かないのは、事実ですが、それでチョン、は企業として一部のステークホールダーしか見ていないことを、白日の元に晒してしまいました。 いくら、米国駐在が長かったからとはいえ、無反省に米国流はいただけない)。

2008年11月17日月曜日

農協の役割

って何でしょう?
時代の移り変わりにより、その役割も変わるのは当然のはずが、あまりにも変化への対応が、なさ過ぎるような気がするのです。
食料が政府によって統制されていた昭和初期(戦前は今の農協ではなかったけれど、似た組織は有った)から昭和40年代までは、きっと政府の買い上げ価格を優位に決めるために、政治的な役割が最も大きかったのではないでしょうか?
しかし、米さえも自由化されている現在、もう少し役割について見直す必要があるのでは? 今となっては農協に政治的な圧力が十分あるとも思えないですし、、、。 根本の役割に戻れば、不作に備えた共済の機能と、生産物買い取り価格交渉権を発揮するための集団交渉力を持つ組織としての機能が期待されるのではないでしょうか。  個々の農家が相対取引をしても、規模から十分な価格交渉力を発揮しているとは言い難いと思います。 また、ブランドということを考えれば、「パールライス」のような失敗を繰り返すことなく、品質管理(生産管理)が出来、且つ数量的に意味の有る規模での産地管理を農協がその役割の見直しと共に考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。 農産物のブランド管理でうまくいっている例として、「三ヶ日みかん」位しかないのは、誠に残念ですし、「ブランド」の意味についてもう少し勉強した方が良いのではないでしょうか、、、。
個別農家の規模拡大や、農業法人等の拡大が急速に進むとは思えないので、個々の農家の規模のハンディをカバーするために農協は「ブランド」を創り出し、生産指導管理を徹底し、地域の生産農家の収入を最大化する努力を、もっと積極的にするべきではないでしょうか?

いずれにせよ、規模が小さければ、買う側の意見が通ってしまい生産者には利益配分が薄くなる市場の原則を理解して、少しでも生産者への利益配分が大きくなるよう「農協」はその活動を見直すべきだと思います。  お金の取立てや、肥料価格の一方的な値上げ、農協マージンの大きさと、組織の主役であるはずの組合員に矛先を向ける現在の農協への不満は募るばかりの状態で、農協は本当に良いのであろうか(存続できると思っているのか?)と不思議に思うのですが?

農業共同組合法で守られている? 組合員が要らない、と言い出せば、こんな法律も過去の物になってしまうのかもしません。

2008年11月9日日曜日

農業の規模拡大と退出の痛みの軽減

同じ事を何度も書いているように思いますが、現状をそのまま維持することで日本の農業を守ることが出来ないのは、誰の目にも明かでしょう。 農水省も、過去20年くらいの間に統計資料の対象から零細米農家を外したり、規模拡大農家への助成を増やす等、規模拡大に向かって少しづつ動いている様ですが、規模拡大をすれば、農家を止める(止めることを強制される)農家が発生する事は明らかであり、この農業から退出する人達への配慮がないと片手落ちではないでしょうか? どうも、規模拡大をする農家への助成などだけが検討されていても、退出する人達への配慮が見られないことが規模拡大の大きな障害になっているような気がしてなりません。  土地の所有権を維持したい退出農家が多いでしょうから、所有権を維持して賃借した場合の賃料に対する課税など、税制上の緩和策を採ることにより、もう少し規模拡大や農業の活性化が進むように思うのですが,,,。

民主党の農業に対するばらまき助成や、対抗した自民党の最近の農業対策等、どうも長期的なビジョンが見えないし、いわゆる弱者(農業から退出せざるを得ない人達)への配慮も見られません。

高級品としてのりんご、みかんや米等の中国への輸出で、なにかこのままでも「高級品」のイメージで日本の農業が維持できるような誤解が有るような気がしていますが、それだけで日本の農業が維持できるとは到底思えません。 品質などは、高い値段で売れることが分かれば、誰もが真似をして結果として価格は下がるものですーそれが資本主義、市場主義なのですから。 高級品で売っていても、常にコスト低減を考えておかないと、いずれ衰退してしまいます。

早期に、今後10年の日本の農業ビジョンと、それに伴って発生する事になる退出者への優遇税制など、大きな枠組みでの農業政策が示され、関わる人達が胸を張って日々を送れるようになる日がくることを期待します。

2008年10月5日日曜日

二大政党制?

を目指して,,,と民主党の党首は事有る度に言われ、「民主党に任せてみろ。もし、ダメだったら変えればいいじゃないか。 それが二大政党制の民主主義だ」見たいな事を言われるが、一般の社会に生きる私には大いに違和感が有ります。 

まづ、二大政党制にはなっていないし、比例代表併用制にしている限り、二大政党制にはならない。 そもそも、一定の歴史を経て現状があることを考えれば、制度を変えて二大政党制にする事自体に無理が有るように思います。

つぎに、万が一二大政党制を認めるとしても、最近の米国の経済対策について民主、共和両党が示したような、国家の危機には政党を越えた話し合いや、決断が必要であり、そのような心意気が日本の政党に有るとは思えない。 特に、この1年間に民主党が示してきたのは、沈みそうな船の船底に穴を開けて、相手を脅迫し政権を奪取しようとするような態度で、とても信頼できるようなものではない。

最後に、「ダメだったら,,,」は政治の世界でしか生きたことのない「政治屋」さんの感覚としか思えないー信用できないーということです。 社会では、継続性や安定性が最も必要であり、「ちょっと新しい政党にやらせてみようか?ダメだったら変えればいい」と思って、投票をする人はいないと思います。 日替わりの政治では国民はついてゆけないし、ましてや国際依存の大きい国家としての存続にも致命的な影響を与えかねません。  野党第一党として、もっと与党の政策決定に影響力を発揮したり、明確に、また信頼にたる対案を示し議論するなどして、実績をつみ、国民の信頼を得る必要が有るのではないでしょうか? 国民・国家の為に、ことによっては、与党と協調するような「大人の態度」が示されていないと、とてもじゃないが信頼や、信用は出来ません。

もっと、考えてほしい!! 参議院で民主党が多数党となったのは、きっと偶々なので、決して誰も今の民主党に政治を任せようなどとは考えていないでしょう。 少なくとも所謂「ねじれ」が現実となり,日本の民主主義が成熟した物にはなっていないこと(国民生活の為には党派を越えた協調も厭わない各党の政治姿勢)が露になり、 私には「二大政党制」は日本では無理なことを明確に示したように思います。

2008年10月2日木曜日

農業改革

まづ規模拡大ではないでしょうか?
小規模農家のバーゲニングパワー(販売,購買、政治)としての農協の存在なのでしょうが、実際にはよいとか悪いとかではなく、どのような組織も、出来た瞬間から設立の目的は別にして、「組織の生き残りの為に活動を始める」ことはよく知られている事実です。 農業共同組合法で守られ,農家の利益の為に活動するといっても、組織全体で何万人もの従業員を抱えれば、本来の目的とは異なる活動をせざるを得ないのは当然のことです。
購買や収穫物の販売に関して、自らが価格影響力を発揮するためには、規模が必要です。 その上で、色々な改革が始まるのではないでしょうか?
規模拡大の促進の為に、農地の賃貸借に関する税制の優遇策(賃貸料に対する非課税)だとか、必要であれば、賃借人の所有権に対する保護の強化や、大規模な農業組織の運営方法の雛形の提示とか、この分野でするべき政治的な行動は多く有ると思います。

非常に問題の多い分野であり、やらなければならないことが山積していますが、兎に角、大きく一歩を踏み出すことが必要ではないでしょうか、それも出来るだけ早く、、、。 

ps.
戦後の「農業共同組合」は米国から導入された物だと思っていますが、米国には日本のような農業共同組合は存在していないように思います。 サンキストは生産者組合(農協?)ですが、生産物の付加価値を高める活動を通して自らが利益を出す努力をしています。 愛媛県には同じような組織が有りますね。 今の組織の名前は知りませんが、「ポンジュース」。
そもそも、共済組合として戦前から存在した「農業共同組合」(戦前は地主の共済組合的な要素が強い?)が、そのまま中身を変えて現在に至っているように思うですが、「顔が一緒で中身が違う」というのは、それ自体うまくゆくとは思えません,,。
どなたか、戦前から戦後の、この農業共同組合の変遷について解説した本や、WEBをご存知でしたら教えてください。(一般に2つは異なるものとして、取り扱われているように見受けられるのですが、影響を受ける人たちが同じである以上、そんなにすっきり分けて考えられるものではないと思うのですが,,,)

ウスプルン? まだ有るんですね

やっちゃいましたねー、、、。
しかし、もう40年近く経っているのに、まだ持っているんですね、、、。 私も、学生の頃(3?年前)、グラジオラスの球根の消毒に使いましたが,,,。

使うことは、まあ色々事情があるので、ともかくとして、有償で売るのはいくら何でもマズいですよ。

2008年9月25日木曜日

石破農水大臣に望む

ま、任期は長くないので、どれだけの事が出来るのかは残念ながら、あまり期待できないのかもしれませんが,,,。
「今のままではダメだ!」に期待して、下のような事をお願いしたい。
 1)農家全員を助けることはもう既に出来ないのだから、それを前提として、日本の農業を自立させる為の長期的な地図を作り、実行して行く。 (例えば、10年後の米の面積は2百万Haで食用が2/3、残りは備蓄、輸出、その他用、で米作農家は5万農家以下。単価は60Kg5000円程度とする、、、とか)
 2)これに伴う、農業所得者の失業の問題(地方の雇用の問題)や、土地集約を可能とする税制の調整(所有と使用を分離して、所有者の税負担を軽減するのか? 他の方法を取るのか?)の、少なくても方向性の確率
 3)自由経済下での健全な農業の発展の為の流通の情報基盤の整備確立
   今、どこの市場で幾らで売れていて、どこの市場に出荷すると最も収益が上げられるのか、といった当然の情報が提供されておらず、殆どが、戦後の配給制度下の政府の買い上げが前提のシステムから進歩しているとは思えない状態なのが、産地偽装とか、生産者の意欲を削ぐような不祥事の根源となっていると思う。
   法律の整備や取り締まりの強化よりも、情報基盤の整備による流通の透明化をまずやってほしい。
 3')生産者の立場から見れば、各県でバラバラと発表されている病虫害の発生予察情報等、自分の県の中だけを見るよりも、全国を俯瞰してみた方が実際の作業上より効率の良い情報が多くあり、この様な生産者への情報提供の面でもモッと工夫すべきだと思う。

 短い任期かもしれないが、若く斬新なアイデアを農業政策に反映させ、日本農業の再生の第一歩を踏み出すきっかけを作ってほしい。

2008年9月19日金曜日

産地偽装、事故米の流通

といった、一連の農水省絡みの問題は本質的に流通の透明性を確保する努力をして来なかった事が根底に有るように思います。
ただ単に「市場に任せるために、規制をすべて取っ払う」といった小泉イズムが助長してしまった問題の最たる物かもしれません。 今回の事故米の話でも、ルーツは「闇米」の流通ネットワークで、自由化により、公認された流通組織として表に出てきただけだ、と言う話も有ります。

有機、無農薬、、、、といった高付加価値の商品も、かなりの物が流通ででっち上げられた物で、苦労してホントに作った農家にはほとんど還元されない、といった状況も結局は流通と価格の透明性が確保されていないからだと思います。 

常に、農家の売渡価格、市場での卸売価格とブランドが公になっていたら、最終消費者が価格を考えるとき、そのブランドと価格から「ありえない」とか「高すぎる」とか判断も出来るはずです。 結果として、適切な市場価格が形成され、世の中がその流れで動くようになるはずです。
株価のように、農産物(米と主要な野菜果物)の毎日の価格がインターネット等で確認できるオープンな市場が形成されることにより、戦後の焼け跡から綿々と続けられてきた如何わしい不透明な流通も駆逐出来ると思います。 農家だって、輸送費を含めて最高値で売れる市場へ商品を流す判断をすることが可能になり、収入を上げることにも貢献しますし、市場価格の平準化も促進されるはずです。

農業分野で、如何にも遅れていて、色々な問題の温床となっているのは、結局は情報の開示、オープンな情報の流通の遅れなのだと思います。 (この世界には、まだ「お上」が決めたことに従う文化が残っているのかも、、、)

2008年9月16日火曜日

くそビジネス

かれこれ12〜3年前、福岡に駐在していたとき九州農政局に居た斉藤さんと話をしていて、「南九州の畜産廃棄物の処理と、北部九州の合成肥料の投入とを何とかうまく組み合わせて相殺出来るような方法は無いだろうか」見たいな話をしたことがあります。 この話にヒントを得て、社内で新任のAPのマネージャに「畜産廃棄物から肥料を作って農地に戻し循環させるような、バイテクビジネスは出来ないだろうか?」という話をしたら、頭から「俺たちがクソビジネスするのか?!」と言われて没になってしまいました。

メルビン・カルビンの「さとうきびからエタノール」と「畜産廃棄物から肥料」、そして「農産物残渣からも、肥料とエタノール」は、この何十年か、ずっと私の頭のどこかにこびり付いていますが、21世紀になって、やっとその方向にゆっくりと進み始めたみたいです。

世界の人口が増加し、耕作可能面積が漸減している状態で、食料を賄おうとしたら、「農産物の効率的な生産(多収、安定)」と「家畜飼料の効率改善(吸収率を向上させ廃棄物を減らす)」そして更に「廃棄物(畜産、残飯)の飼料・肥料への転換と再利用」を上手に行って行かなければなりません。 家畜飼料の効率改善はデュポンのビル・カークがバイテクの大きな目標として掲げていたものですが,私自身その考え方の素晴らしさに大変感銘を受けました(今,パイオニアハイブレッドがその目標に向かって、邁進しているとは思えませんし、関連の法規などの審査も、遅々として進んでいないみたいですが、、、)。

食物連鎖の最初から最後までを、一つづつステップ毎に精査して、全体として無駄を最小化するためにはどうしたら良いのか、を考えるような学問領域が必要になってきたのかもしれません。  (畜産廃棄物で、窒素やリン酸が多くなりすぎ、水が汚染されるということは、家畜の食べる植物にそれだけの窒素やリン酸が含まれていて、家畜には利用されなかった物が悪さをしている事に過ぎないのですから、これを利用してこなかった、現代人の知恵の足りなさに反省)

最近、畜産廃棄物を通常の方法より極めて短時間に分解して肥料にする「菌のフローラ」を売っている会社がある、という話を聞いたので資料を取り寄せてみました。 高温でも活動できる菌がミソの様ですが、 畜産廃棄物を3日ほどで、熟成肥料として利用可能にする、処理中臭いもしない、と謳っています、、、。

個人的には、明確な理由も無く農薬を敵対視していたり、菌のフローラの詳細が分からなかったりで、資料もあまり科学的ではなく(特許公報のコピーと、何をしたいのか分かりませんが、多くの農薬の分析結果データが付いていました)、対象を有機栽培農業に絞って高く売りたいみたいな印象を受けたので、これ以上の深追いをするのは止めましたが、畜産廃棄物の処理に困っている方で興味があれば、 

 「トヤマNB菌」 
 株式会社インパクト
 石川県金沢市神野東22番地 tel 076-216-5528 fax 076-216-5529

です。 この会社は微生物分解で作った肥料を売っているみたいなので、ここに連絡しても菌の入手ができるかどうかは分かりませんが、連絡すれば対応はしてくれるかもしれません。

2008年9月13日土曜日

事故米の処理

「三笠フーズはどうしようもない会社だ!」 というのは確かですが、どうも農水省も事故米の処理の必要に迫られ一枚関わっていた?或いは知っていたけど見逃していたのではないか?と思えてきました。  
あれだけ細かいことでも業界を呼びつけて対応を迫るのに、自分の責任が問われそうな事には、「実害はない、、、、」。 また、大臣が「うるさい消費者」に近い発言もして、「やっぱり、この人はホントに分かっていない、情けないオッサンなんだ」と思わせます。 
実害は無いのは当たり前でしょ! 農薬の毒性は、「一生涯食べつづけた場合の影響を動物実験から推測して、更にその安全と思われる値に百分の一を掛けた数値」なのですから、一時的に基準値を越えた値を摂取しても、急性毒性のレベルを越えなければ、基本的に、安全なのは当たり前なのです。 これは、約束事なのですから、その約束事を守らないことが問題なのですし、約束事を守らせる事を使命とするお役所がそれをして来なかった(これなかった)ことが問題なのではないでしょうか? 絶対に起こってはいけない(工業用途の物が食用に転用される)事が起こったことが問題なのだし、チェックをしていながら、見逃した(?)事が問題なのではないでしょうか? お役所(行政)に対する不信感その物なのです。  

それにしても、「二度と起こらないように全量廃棄」というのも、「お前ら誰の金使ってんだよ!」て言いたくなるほど、自分たちの組織を守ることしか考えていないように思えます。 1キロ10円程度で工業用途として販売しているのなら、なぜその価格で全量、バイオエタノールの原料として販売する事を考えないのでしょうか? (収率30%程度ですので、リットル5〜60円で出来ることになる)。 米からのバイオエタノールは、まだまだ課題が多く実用的な生産には試行錯誤が必要ですが、もう実験室レベルでコセコセと実験をする段階でもないはずです。 リスクを抑えて色々な実験プラントでの稼働実験が必要な段階に来ていると思うのですが,,,。

事故米を安全に処理して、尚且つ21世紀の新しいエネルギー開発に寄与する、そんな発想を何故お役人は思いつけないのでしょうか?

そうだ、回収された焼酎他お酒も、機能膜で濃縮してバイオエタノールにする事にすれば、無駄に捨てること無く、回収された物に少しでもお金を払う根拠が出来るのではないでしょうか。 大体このままったら、回収された商品で百億円規模の補償になるのでしょうが、誰がどうやって責任持つんだろう、、、。

2008年9月9日火曜日

地方の財政悪化は地方だけの所為?

地方の財政が酷い状態になっているのは事実で、上から降りてくるお金を使う感覚が、取り留めもない財政悪化をもたらしている、というのも事実の一面ではあると思います。 しかし、これ以外に国の事業とされている物が、地方の財政を悪化させており、市町村は、この上からの殆ど強制的なお召し上げには逆らうことが出来ない、という事実に気がつかされたので後学の為にメモしておきます。
国のプロジェクトは、国XX%、県X%、市町村X%、受益者X%等と設定された、長期にわたるプロジェクトの場合があります。 しかし、私の田舎での最近の経験では、農業用水パイプライン化の10ヶ年プロジェクトの開始3年め位で、既に予算規模が3倍に膨らんでいて、これに対して「受益者としての合意の確認書を返送してくれ」との文書が送られてきました。 その理由として、資材の高騰、宅地化が進み地下化が必要等々の説明がありましたが、10年かけたプロジェクトで、その間の都市化による受益者の減少のリスク見積りはなされていませんでした。 また、当初計画の3倍近い経費が見積もられていながら、当初の計画通り遂行しようというのは、享受出来るメリットが当初の1/3になることから、どう考えても理にかなわず、計画その物の見直しが必要と思われたので、私は反対の意を込めて、合意文書は送付しませんでした。  しかし、これは市町村や県では簡単には出来ることではありません。 結果として、限られた予算の中で、当初の計画の2〜3倍の出費を既に了解されている既定の出費として召し上げられ、その結果、教育費とか市町村独自の予算を削って賄うことになってしまいます。
業界団体の委員をしていたときも,「容器リサイクル法関連で予算を確保したから、使途を考えろ! 民間団体の出費は50%」と突然言ってきて、「我々として、直接的に有効に利用する事は出来ないと思う(使っている容器その物を作っているわけでは無いので)」という消極的な対応をしようとしたら、「世の中の動きに、反対するような行動を業界としてするのか? 何か考えろ!」で無理やり、メーカからも50%出さされて、財団法人が窓口で、別にしなくてもよい調査に5000万円程の税金が使われたのを覚えていますが、税金はこうやって、役所の予算獲得競争の果ての無駄の積み重ねで浪費されるのだ、とつくづく思いました。

市町村の財政が疲弊しているのは必ずしも、市町村だけの問題ではないことを指摘しておきたいと思います

国のプロジェクトと言われている物が、実は受益者も負担すべきと言う口実の元に、県や市町村にも負担金を求めている物であり、予算規模の大きさが、その省庁のランクを象徴していることと、複数の出資者が居ることにより、期中の見直しができ難くなったり、プロジェクトに対する責任の所在が曖昧になってしまうことから、この様な方法は即刻止めるべきでしょう。 少なくとも、当初予算を30%以上越えることが確実になったら、プロジェクトを見直す、といった予算のシーリングをするべきではないでしょうか? 市町村によっては、この様な国がかりのプロジェクトがクレジット会社の請求のように溜まっていて、自分で使えるお金は殆ど無いような、多重債務状態の所もあるのではないでしょうか? 
 その場合,
   国のプロジェクトに尻尾を振った市町村が悪いのでしょうか? 
  それとも、
   貧しい市町村を食い物に、自分の予算規模を膨らますことに血道を上げた、中央官庁が悪いのだろうか?


どう思います?

2008年9月8日月曜日

米にアセタミプリド?

へー、使っている所が有るんですねー。
散布なんでしょうね、、、。 ネオニコとしては効果も残効も強くないという認識なので、意外ですが、、、。 まさかメイチュウには使っていないですよね、、、。

しかし、人様の安全など全く顧みないとんでもない企業ですね「三笠フーズ」って。 また、毎年査察に入っても分からなかった農水の検査の実態が、ねーねーの形式的なものだということもバレてしまった? 
農水の担当も、この会社も同罪ですね。 打ち首じゃ!!

2008年9月7日日曜日

アメリカの大統領選挙

日本の農業問題とは関係ありませんが、アメリカの本質的な問題が浮き彫りになっているようで、面白いしその結果が我々の生活に影響を与えることになるので,,,。

1)アメリカは言われているほど進歩的でも自由でもない
 論理的には、人種差別や性差別は存在してはいけない事を皆理解していて、それを守って行こうと努力している社会であることは認めます。 しかし、「黒人」や「女性」に対して投票をしたくない(心情的に大統領や副大統領になってほしくない)と思っている人達が、我々が想像する以上に多く存在し、それらの人がこれから、「投票しない為の大義名分」を其々の候補のディベートや演説から探してくることになるのでしょう。 そこは論理ではなくて、生活信条(気持ち)?

2)移民の国で高々2百数十年の歴史しかない
 アーミッシュだけではなく、非常に古い生活習慣を頑なに守っている人達がたくさんいるのです。2億の人達が、色々な宗教と生活理念を持って移り住んできた国なのですから,当然なのかもしれませんが。 外国の日系人社会に、日本より日本的な習慣や文化が残っている事に気がつかされる事がありますが、多分それと同じようなことがヨーロッパ文化や他の文化でも起こっているのでしょう。

共和党の失敗?
 ペイリンは、演説を聞く限り非常に挑発的、攻撃的な印象を受け、これだけでも反感を持つ人がいるのではないかと思います(私もその一人)。 また、共和党の保守に属していて、マケインよりも右寄り、ということになると、「言うこと聞かなければ、攻撃!」と言うことも起こりうる(北朝鮮武力攻撃?)のではないでしょうか、、、。
 これでは、オバマを嫌ってマケインに向かっていた民主党の票(黒人大統領に違和感のある人たち?)を取り込むことが出来なくなってしまうのでは? 女性という理由以外に、否定する正当な理由が出来てしまったのではないだろうか?

これからの2ヶ月は、4人の候補者がどれだけ如才なく演説やディベートをこなしてゆけるのか、それらの演説やディベートが、心情的なバリアーを壊すに足るものか、といった所が焦点になるのではないでしょうか? いずれにせよ、極端な攻撃的は発言は決してプラスには働かないでしょう。 ペイリンは、うまくこなせるのか、大きな?

2008年9月6日土曜日

農水省は舐められている?

産地偽装がまだ続いている中、今度は用途を誤魔化して輸入米で荒稼ぎの「三笠フーズ」。
XXフーズという会社の名前にもかかわらず、「でんぷん糊」用として購入できる事自体がおかしいのですが、、、。
そもそも、法律体系が「性善説」に基づいて作られているために、「法律は作るが、作っても検査体制もなければ、検査もしない。文書だけの取り締まり規則」が沢山存在するのです。 自己申告しないと違反行為そのものを判定することが出来ないような事を法律として定めていたりしています。 (農水関連だけではないと思いますが、少なくとも知っている範囲で農水の関わる部分には、この類が結構あります)。

一度、法律の棚卸をして、「定期的に検査をして、確認していないような事を規制している法律は廃止する。 その上で,必要な規制は新たに法律を定め、その検査体制も同時に完備する。」といったような事をしたらどうでしょうか?


これで、「人をバカにしたような不正は起こりにくなるでしょうし、事務方のお役人さんも仕事が大幅に減るでしょうから、公務員を半減させることもできるでしょう。 そして、検査体制を充実するために、その人達は、検査に関わる機関の事務方として再雇用されることでしょう。 勿論、霞ヶ関でふんぞり返っていた時のような給料や待遇は望めないかもしれませんが」
少なくとも、何か問題が起こると、それに対応する法律を作って「一件落着」といった、お役所の責任逃れの為みたいな、仕事の仕組みは見直して欲しいものです。 実態の無い規制とか法律が多過ぎます。 食に関わる最近の多くの問題の本質は、ここにあるのだと思います。 それと、もっと本質的に、残念ながら「恥の文化」の日本人が、嘘をつくことを「悪いと思わなくなっている」という根元的な問題があると思います。 これは教育の問題ですが、大分県の問題を見ていれば、「嘘をついたら死刑」とでもしない限り、この文化は取り返せないような悲惨な思いがします。

2008年8月26日火曜日

中国に食料を依存することの問題

といっても残留農薬とかの問題ではありません。 純粋な需給と生産を考えた場合に、将来の日本の食料価格に致命的な影響を与える可能性について考えてみます。
 1)何故中国の農業生産に依存するのか?
   労働コストが安いので、国内で生産するよりはるかに安いコストで生産でき、輸送費を含めても利ざやが大きい。
   気候風土から、日本で必要とする農作物はほとんど生産できる。
   ーー>流通業者にとっては、利ざやの最も大きい調達場所である。

 2)この状態(価格の優位性)は将来にわたっても維持できるのか?
   GDPの成長率からGrossで見れば、価格優位性は数十年で消失する。(但し、所得格差が大きいので、更に内陸部に行けば、労働賃金からは、維持できるが輸送や管理コストが増大する)。
   中国の農業生産は、人口の多さから機械化されておらず、個々には小規模(雇用の問題と、設備投資コストの問題)だが、これを集約する企業や個人が居て、外観上は大規模経営に見える(生産性は低い)。
   日本の高度成長期と同様、基盤整備、農道の整備ー>工業用地化が条件の良い所から進んでおり、効率の良い農地面積は縮小している(生産量の減少)。 都市並みの収入を求める農民が居る以上、この流れを止めることは出来ず、この先も、優良農地は減少して行く。
   黄河に水源を依存する河南、河北などの地域は、工業化による水質汚染と水の生活水・工業用水との需要競合から、十二分な水源を確保できる状態にはない。
   中国の生活レベルの向上に伴い、野菜類の国内需要が増え、価格も上がって行けば、輸出するメリットは相殺されてしまい、リスクをとってまで輸出するメリットはなくなる。
   ーー>中国国内需要の高まり、耕地面積の減少、日本との価格差の縮小から、輸出のメリットが減少し、輸出意欲もなくなってくる

 3)では、どうする?
   1)調達場所を、更に価格差の維持できる場所に変更して行く
     商社は、この様な発想で仕事をしているのでしょうが、考えられる代替地は緯度の低い所しかなく、完全な代替は出来ないし、このような方法を永遠に繰り返して行くことは出来ないのでは?
     南米などを考えることもできるが、生産の管理と輸送には、今まで以上にコストがかかる。
   2)中国に、契約栽培場所を確保する
     労働賃金で優位性を出さないと、契約栽培の維持が出来ないので、結果として価格の優位性は失われる。
   3)国内生産を効率の高いものにして、国産化を図る
     これが、一番まっとうな考え方ですね。
     しかし、規模の拡大、資金の供給、生産物の流通の改革等、解決すべき問題は非常に多く、また過去の柵に引きずられない大胆な改革が必要だと思われます。 まず、農業が農家単位の家業でなければいけない、といった先入観は取り除かれる必要があると思います。

 4)それ以外にも問題はある!
   世界人口が60億から80億になり、生活レベルが上がり肉食が増え、飼料や食物の需要が増え、それに伴い農地の拡大が起これば(塩害などの問題は置いておいたとしても)、生産資材、特に肥料の需要が急増することになります。 肥料の三要素(N、P、K)の内リンは燐鉱石に依存していますが、世界的に見てこの供給場所は限られており、調達価格の上昇は必至だと考えられます。
   持続可能な農業生産を考える場合、食料廃棄物、畜産廃棄物、農業廃棄物等から、肥料の成分を回収し再利用する技術を早急に確率する必要があります。 (洗剤や脂質にも燐が含まれていますので、これらも下水から回収して再利用することを考えるべきでしょう。 洗剤や畜産廃棄物による琵琶湖の富養化が問題になっていましたが、これこそ再利用可能な資源を捨ててしまった結果と考えるべきでしょう)
   農産物は国内で需給を賄うことで、為替や経済状況による価格への影響を抑えることが出きるように思われますが、生産資材や燃料も海外依存度が高いので、こちらも対策することが必要となります。 特に、今まで廃棄されていたようなものを再利用することにより、持続可能な生産を確立する技術は、国内だけでなく世界中で利用できる地球にやさしい技術ですので、この分野でのリーダーシップは日本の将来にとっても重要な物と思います。
   

2008年8月7日木曜日

ブレンダーという職業

お茶やコメでは「ブレンダー」という職業があったはずですが、この人たちは今はどうなってしまったのでしょう?
専門の職業人が、実際の味覚などを確認しながら、色々な産地の物を混ぜ合わせながら「最も美味しくて、最も廉価に提供できる(あるいは利幅の最も大きい物)を作り出す」のがブレンダーの役割です。 結果として、消費者は自分の味覚とか知識に頼る(専門でない個人には限界がある)事無く、適切な価格で、美味しいものを食することができていたはずです。
これが、一面的に「産地表示、XX%以上含まれていないとXX産と表示してはいけない」といった規制の元に、全て消費者の自己責任に任されてしまったように思います。  専門家の目からみれば「これは、XX産と言っても絶対に消費者には分からない」という物は過去の蓄積から十分に承知されていたはずですので、結果として「産地偽装」等は起こって当然なのではないでしょうか?
一時、魚沼産コシヒカリが大量に出回っていた頃には、よく「魚沼って田んぼは4階建てになっているの?」等と冗談をいっていました。 そもそも、安全性が担保されているのなら、何故DNA分析をしなければ分からないような所で、消費者が商品を選択する必要があるのでしょうか?  安くて、安全で、美味しい事が必要充分条件であって、「我が家では、魚沼産のコシヒカリしか食べていません」にどれだけの意味があるのか? そもそも、精米の仕方とか、ご飯の炊き方で味は全く違ってしまうのですから、コメに関して産地を表示してもあまり意味が無いように思います。 (試しに、消費者を集めて、産地当てのブラインドテストをしてみれば分かります。 90%は当らないはずです。 例えば少しモチ米を混ぜたりすれば、本当にわからなくなります)
カバンや装飾品ではない(これだって偽者掴まされる人は多い)のですから、食料品をブランドで売る習慣をやめるべきです。 結果として、本当に価値の高い農産物はもっと高く売れるはずです(価格に敏感な消費者には専門家がブレンドして、相応の価格で、その味を楽しめる商品を作れるのですから)。
自分で判断できないような物に価値を置く消費者の態度が「産地偽装」の温床の一つの原因になっているし、それを助長するような法律を作ったお役所にも責任があると思います。
ブレンダーの方々が、表に出てきて「XXXXのコシヒカリ(原材料:aaaa,bbbb,cccc)」といった商品を出すようにすれば、ブレンダーXXXXさんを信用した、味にうるさいけど価格にもうるさい消費者を掴めるのではないでしょうか? それも、価格競争のツケを生産者に回すことなく。  原産地表示(ほとんど100%でなければ受け入れられない)を義務化することにより、流通の価格競争の皺寄せがダイレクトに生産者に掛かってくることは、食物の生産(時間が掛かる)を考えれば、あまりにも過酷な状態だと思いますし、原価を割った出荷を強いられて農業がどこまで生き残れるのかも疑問で、自分の足を食っている蛸のような状態になっているのでは無いだろうかと心配します。

嘘をつくことが社会的に、もっと恥ずべき犯罪であることを明確に裁判で示すことと、適切な表示の基、もっとブレンドすることの価値を高めることが、農業再生の一つの方策になるのかもしれません。 お役所は責任逃れの刹那的な法律を作るのではなく、大所高所に立って、本当に必要な法律を作ってほしいものです。

2008年8月5日火曜日

自由市場と農業

小泉政権は自律的な経済をめざし、多くの規制や補助を撤廃してしまいましたが、本来的に自由市場を維持するために必要なインフラを整備する事は何もしてこなかったように思います。 (結局は、「ぶっつぶして」しまっただけで、他には何もしなかった、そんな政権に未だに人気があるのには納得が行かないし、そのつけを払わされている福田政権は可哀想な気がします。)
コメの流通市場は存在しませんし、価格情報もリアルタイムでは公開されていません。 これでは、生産者がどこへ出荷して売上価格を最大化するのか決定する自由はありません。 結果として、農家がいくら努力しても、その成果は農家ではなく中間流通が取り込む今の状態になってしまいます。 そして、究極は「産地偽装」ですーこの様な行為が横行するのは、流通の情報が適切に公開されていないからに他なりません。 アダムスミスが成り立つためには、全ての市場参加者が同様の情報を等しく共有している必要があることは常識で、我々の住む世界がそのようになっていないことも事実として認識されていると認識しているのですが、今だに大きな顔をしてテレビなどに良く出てくる経済関係の大学教授さんは、そんなことも指摘して行政を動かせなかった事を恥ずかしくは思わないのでしょうか?
規模の拡大、生産の効率化の追求は自由市場での生き残りの為に必要な事で、この為に農業界は努力して行かなければならないことは事実ですが、流通の情報が不完全なままでは、中間流通が利益を取り込むだけで終わってしまいます。 産地偽装等という「恥ずかしい」行為を排除し、活性化された農業を再生するためにも、行政はもっと市場の形成や市場情報の公開に軸足を移してほしいものです。

2008年7月31日木曜日

WTO交渉と農業問題

伏兵インドのお陰で決裂したみたいで、日本の大臣様にしてみれば「不利な条件を飲まされずに済んで、無事帰国できる」という事でしょうか。 しかし、WTOが決裂しても、別に日本の農業問題が解決したわけでもないので、喜んではいけないのです(いずれ、また同じ問題が襲いかかってくるのです。 その時、同じ大臣をやっていることはないので、今回の2大臣にとってみればよろしいのでしょうが)。
農業の規模拡大というと助成金で誘導する方法が考えられているみたいですが、何か地方の実態を理解していないように思われます。 農家を集約して、規模拡大した生産法人(株式会社)を作れば、資材購入、生産物販売の両面に渡って価格交渉力が備わり、今のような中間流通のマージンが50%以上といった悲惨な状況から農家を開放して、農家の生活レベルを上げる事が出来るのは自明の事であり、日本が農業を存続させる為に、規模拡大が必須であることも自明の事です。 しかし、農家を集約してしまうと、地方には多くの職を失う人が出てきますーそれも高齢の。 また、若年労働層の地方からの流出も増えるでしょう。 結果として、何の対策もなく、規模拡大を農業関連の助成金で進めれば、地方の荒廃に拍車をかける結果となります。 規模拡大ー>失業者の増大を考えれば、農業の規模拡大は、本質的には地方の雇用機会創出の問題なのだと思います。  農水省の小出しの助成金等ではなく、地方の活性化の為の総合的な施策の中で行われない限り実現することは難しい様に思われます。 道州制を含め、もっと明確な地方の役割を定めた上で長期的に事を進めて行く必要があるのではないでしょうか。 一体、どのくらいの政治家がこんな当たり前の事に言及したことがあるだろうか? (情けない日本の政治屋サンたち)。

そういえば、ベトナムはベトナム戦争に勝利してまもなく、何故か中国との国境を越えて戦争を始めようとしました(明確な理由は無かったように思います)。 これって、雇用問題?! 兵隊さんを多く抱える国(中国、ロシア、北朝鮮、、、)は、多分この軍人の雇用をどうするのかが適切に処理できない限り軍隊の縮小は出来ないし、軍隊を抱えていれば、たまには仕事してもらわなければならないので、戦争もしなければならないし、とっても頭の痛い存在となってしまうのですね。 軍隊は発展途上国にとっては、大変便利で簡単な雇用創出手段なのですよね。 でも、それに頼っていると軍隊が肥大化して、抑えられなくなって戦争になる。

そう、全ては 雇用の問題 として考えれば良いのでは?

今週の、カンブリア宮殿(テレビ東京)はすばらしかった。 86〜88歳のおばあさん達がパソコンに向かって、市況情報見たり、昨日までの自分の売上見たり、楽しそうにビジネスしている姿は、何か一つの方向性を示唆している様に思えました。 そう、「明日は、xxxと○○と××と、、、しなければ」と思って床につけることが人間にとって一番大切なのかもしれません。

2008年7月21日月曜日

農業の大規模化

言われて久しいこの課題、一向に解決する兆しは見られません。 何故でしょう?

 1)「俺の畑は、そのうち高値で商業地として売れる」という所有者の意識
  農道の整備が国の助成金で行われると、地域の土木業者が潤い、やがてその農道は、県道、国道へと格上げされ、隣接農地は商業用地として高値で売却される。 それが今までの農業政策の現実だったのではないでしょうか? これは、また地方の税収を増やすという意味において、地域の行政には反対する理由は無いはずです。 また、農地として相続、保有している限り、税率も低く、あまり負担にもならなかったのも事実です。 結果として、「天下国家の食料事情よりも、目先の収入と、目先の税収」が優先され、細切れの農地が散在する現状があるように思います。
  大規模商業施設が田舎に出来ても、誰が買い物に来るのでしょう? その人達の買い物の為の原資は何処から来るのでしょう? 車で遠くから来てくれるようなことは、これからはあまり望めない、とすれば、その近隣に住む人が顧客となるはずですから、その地域の経済の状態によって、この様な施設が出来るか否かは決まるはずですし、大規模施設であっても、大企業にとって撤退は、無い話ではありませんから、大規模商業施設にはそれを支える規模の経済がその地域で継続的に維持されることが必要でしょう。 さもなくば、一部地域に既に見られるように、幽霊屋敷と化した元商業施設のみが放置された、荒廃した田舎の風景のみが残ってしまいます。
  農業の助成金が出ていた頃、田舎はパチンコ屋のオンパレードでした。 (作らないことで収入を得ていれば、必然的に仕事の無い日中の時間を潰す必要があり、その為にはパチンコは恰好の遊び場だった?) しかし、そのパチンコ屋を支える経済規模がそこに無ければ、パチンコ屋も存続は出来ません。 最近の田舎はパチンコ屋さんも減ったと思いませんか?
  長期的な視野での資産運用を適切にアドバイスするような機能が田舎には必要な気がします(幼なじみや、農協の「なあ、なあ気分とは離れて、親身にアドバスできるような」)。 これは、地方自治、いや今の国家運営その物にも求められているのかもしれません。

 2)「先祖代々の土地を守る。 他人には渡すな、という遺言」
  土地の所有制度が確率されたのは明治に入ってからでしょうし、殆どの農家が土地を所有出来たのは第二次大戦後だと思われますので、先祖代々は、高々4ー5世代でしょう。 しかし、この精神的な壁は、そんなに簡単に破れるものでは無いことも事実です。
  従って、所有権を尊重した上で規模拡大を図って行く方策が必要だと考えられます。
  農林水産省は、来年度以降、農地の転用許可に規制強化をして行くつもりの様ですが、1)で述べたように、転用が起こる現場にこの規制強化で潤う人は一人もいない事実から、合法非合法を含め国が意図した通りになるとは思えませんし、国の勝手な考えで地域経済に大きな障害を作ってしまうことにもなりかねず、大いに問題があると思います。
  国は、「農地に農家を縛り付ける」事に労力を使うのではなく、「規模の大きい農業をやれば、それなりに儲かる」為の枠組みを用意して、農家を効率的な農業に誘導する事に労力を使うべきだと考えます。

 3)「国家の品格」としての農業
  今まで(大正時代にも同じようなことがあったようですが)、効率の悪い農業は開発途上国に任せて、ひたすら効率の良い工業立国を指向して来てそれなりの成功を納め、経済大国となったのは事実です。 しかし、このパターンはマハティールのLook Eastを始め、多くの開発途上国の手本となっているのも事実で、「ねずみ講」状態になり始めているのではないでしょうか? 最初を走った日本は良かったけど、いつまでもこれを続けて行けば破綻します。 もう、いい加減貧しい国から、札束でほっぺた叩きながら必要なものを調達してくる、西欧帝国主義的な文化について考え直す必要があると思います。 特に、水資源の乏しい国が途上国として残り、先進国への農産物の供給を担うパターンになりつつあり、FAOの耕作可能農地の面積から見ても、殆ど破綻している考え方です。
  水資源に恵まれている日本は、農業でもっと世界に貢献すべき時が来ていると思います。 (今、基軸通貨がEuroになったら? ドルがいきなり200円/$になったら、60%の食料を海外依存している日本の経済は壊滅的な影響を受けることを想像したことが無いのでしょうか、政治屋さん達は? 円安を喜ぶ株式市場や経営者にも疑問があります。 トヨタも、キャノンも日本から輸出しているより現地生産している方が多いはずで、直接円高が経営に大きな影響を及ぼすようには思えません。 今どき、そのような経営をしていれば、大企業にはなれません。 最近の言動を見ていると、国内の賃金を抑えるために意図的に、過去の円高不況のイメージを利用している様に思われてなりません。)
  戦時国家に人的援助で日本人の犠牲者を出すのではなく、もっと日本人が得意とする分野での世界貢献という意味で、農業技術支援と共に、国内での農業生産の効率化と輸出を真剣に考える時が来ていると思います。
  監督官庁である農水省がGAPの日本版を導入した事が如実に表している様に、「日本の農業は、世界を相手にする必要が無い」と最初から諦めている事が、全てを内向きにしてしまっている様に思えます。  
  嘘でもいいから、「10年後には、日本は政界一のジャポニカ米輸出国になる!」というスローガンを打ち上げて、政策として推し進めて行く気概のある政治家が出てきてほしいものです。


農業規模拡大への方策の提案;
 1)農業法人の株式会社化
  ただし、議決権ある株式と配当の為の株式を分離する。
   議決権のある株式: 法人経営体 4
            資金出資者 3
            土地出資者 3
   とし、 配当は資金と土地の出資者に対してのみ、それぞれの出資割合に応じて行う。
   すなわち、分配利益の50%を資金出資者の間で出資割合に応じて分配する。 土地出資者に対しても同様。

  通常の株式会社と同様、予算、決算に付いては議決権を有する株主の33%以上の合意が必要とし、経営方針や実績に対して問題があれば50。1%以上の同意で、経営者を解任することが出来る。 (予算,決算には当然、作付け作物と予想収入、従業員、法人役員の報酬、利益の配分ー内部留保もふくめーが含まれる)

  これにより、土地や資金の出資者が当事者として法人の経営を監視することが出来、またその経営が不適切であれば経営者を交代させることも出来、自分の収入に対して(地代という固定的な収入としてではなく)責任が発生することにより、土地所有者が勝手に離脱することにより、法人経営が成り立たなくなることを回避することが出来ます。
  個人的には、現在の農業法人がなかなか大きくなれないのは、法人のみがガンバり,地域社会と遊離してしまっていることにも問題があると感じています。 地域を支える物、地域の雇用を支える物、地域経済を支える物として、もっと地域と協力融和して行かないと、長期的には難しいでしょうし、その為の一定の利益配分も必要でしょう。

 2)規模拡大によるメリット
   資材購入コストの低減
     規模拡大により、大量購入とメーカからの直送が可能となり、流通コストとエネルギー消費の低減に繋がる。
   販路の独自開拓と価格の決定権    
     漁業者(70%が流通コストとして取られている)ほどでないにしても、40ー50%と考えられる中間流通コストの削減とともに生産物に対する生産者の責任の明確化が図れる。
   固定費の低減
     更なる大型機械の導入と効率化が可能となる
   リスク分散
     作付け作物の分散、多角化により、気象変動や相場によるリスクの低減、及び作期の短い作物の栽培を平行して行うことにより、Cash flowを改善できる。

 3)出資者が経営に参画することのメリット
   当事者意識をもって経営に参画することにより、農村地帯に「経営」という考え方を啓蒙することが出来る。 結果として、自己利益だけの為に離脱するような行為が行い難くなると共に、長期的視野での資産運用を考える習慣も身につけることができるようになる。 また、農業経営を今までと違った見方をすることが出来、より効率的な経営を協力的な環境で構築して行くことが出来る。
   (田舎には共同体意識が存在する様にいわれていますが、本来利己的な存在の人間が、共同作業を必要としていた昔の村社会には、厳しい規律でこれを維持していた歴史があります。 しかし、現在の村社会ー特に都市近郊ーでは、この様な文化は殆ど廃れてしまっており、村社会は会社人間などよりも利己的な存在で、これが規模拡大の大きな障害になっているように思われてなりません。 これを、解消する為には、「協力して一つの目標に向かうことにより、必ず自分の生活が良くなること」を経験してもらうことだと考えます。)

 4)問題点
   この様な企業経営を担うことの出来る人間が、農村地帯にいるか?
    農業の新規参入障壁は、設備投資とCash Flowを考えると極めて高いので、既存の農家が、経営的手腕を持った人を雇うなどしない限り、かなり難しいのかもしれません。
   会社として、法的に問題は無いか?
    議決権と、株式を切り離した株式会社は自己矛盾しているので、このままでは問題があるのかもしれません。
    しかし、資本金と土地の価値をどのように評価するのか? は大変難しい問題です。 特に土地の価値は、そこからの収益が上がれば変動してしまいますので、どこまでいっても公平な配分公式を見出すのは難しいのではないでしょうか? 
    どのようにしたら実現できるのか? 可能性はあるのか? については???

2008年7月14日月曜日

農薬取締法と農薬適用表

分かりにくい農薬のラベル表示
農薬取締法に基づき、農薬として販売される物には必ず、適用表が表示され、「適用作物」「使用時期」「使用量」「使用上の注意」等が示されています。また、この表示には「適用のある物は全て表示する」という制約があります。 輸送上の効率化や、農薬の機能の向上により、農薬は少量化が進んでいますが、結果として製品ラベルの表示領域が小さくなっており、また、PL法への対応等により注意事項も増えているために、実際のラベルは使用者が十分に読んで理解するような状態になっていない様に思います(実際、昔ラベルの記載内容のチェックをしたことがありますが、眼鏡をかけて、思いっきり明るくしないと読めませんでしたー高齢化が言われている農業者対象の物としては些か問題があるように思います。)
農薬取締法の目的から; 
 「農産物の消費者への安全』 ーーーーーーー> 「適用作物」「使用方法」「使用時期」と「使用量」
 「生産者(農家)への効能の担保」 ーーーーー> 「対象病害虫雑草」「使用方法」「使用時期」「使用濃度」
 「生産者(農家)への問題(薬害等)の回避」 ー> 「対象作物」「使用方法」「使用時期」「使用濃度」
と同じ「使用時期」一つを取ってみても、その目的とするものが複数あり、それを同時に満たしている必要がある事がわかります。

現在登録のある4311農薬の実際に使われている表現の種類数について調べてみると;
適用作物   :1,169
使用方法   :1,087
使用時期   :2,375
使用濃度   :1,437
適用病害虫雑草:1,413

ありました(句読点の違いなども含めて、異なるものの種類を集計)。

ここで「適用作物」を見てみますと、2008年7月時点で1169通りの表現があります。 また、最近、マシン油の薬害で問題になった「果樹類」や「樹木」といった大雑把な表現や、「なばな類(ただしなばなを除く)」と言った理解し難い表現があります。 この適用表を理解する為には元になる、作物残留基準の為の作物の分類表を理解している必要があります。 現在、新しい作物残留基準に合わせて、「適用作物」の表現が変更されつつあるようですが、残留基準ベースで、全ての適用可能な作物を適用表に入れることは、適用表が煩雑になり難しいと思われますが、使用者が理解できる何らかの中間的な分類が必要なのかもしれません。
また、消費安全技術センターから提示されている「登録に使用すべき作物名」では、実際に登録のある非食用の作物でも見つからない物が多く、あくまでも、農作物の消費者への安全をベースに作られたものだと理解されます。 この点、この表も現実の農薬登録に合わせて、拡張するなり整理するなりする必要があるように思います。
また、「果樹類」「樹木」「花木」「花卉」等大括りの適用作物表現の場合、ここでの使用の可否の判断は、あくまでも作物残留基準からの判断であり、薬害などの問題については言及していないと理解しておく必要があります(薬害は、適用作物だけでなく「使用時期」や「使用濃度」によっても変わります)。 これを間違うと、長野のマシン油でくるみの木を枯らしてしまうようなことになります。

 目的の違う事項が混在している事が、それぞれの項目の表現の種類を必要以上に多くしていることは理解できますが、この際、当事者である国と農薬メーカは「使用者(農家)が使いやすいー理解できるラベル」を実現するために、大幅な整理・改善をすることが必要なのではないでしょうか? 分かりにくいラベルも農薬を敵対視する世論を醸成する要素の一つだと思われます。 使用者の利便性の為ではなく、行政や農薬メーカの責任逃れの為のラベルだと言われてもやむを得ない状態だと思います。

 また、農薬の適用表ばかりでなく、適切な使用方法などを説明する補助的な手段として、もっとWEBを積極的に利用してメーカが死蔵している多くのデータを積極的に発信する必要があると考えます。 農薬メーカ各社がホームページで自社製品の適用表などを掲示している事は承知していますが、農家の「今、キャベツに虫が付いているんだけど、来週には出荷したいが、どんな農薬が使えるのか?」といった最もありそうな質問に答えられるようなものは、少なくとも無償では存在しないように思います。 出来れば、メーカ横断的に使える農薬と使用方法等が一覧表示され、個別の農薬をクリックするとそのメーカが提案するその作物へのその商品の上手な使い方や使用上の注意などが表示されたりすると、とっても役に立つのではないかと想像します。

 そんな、私の考える「役に立つWEB」を 「農薬・農業情報サポート」 に作って見ました(尤も、「上手な使い方」は私が書くわけには行きませんので、リンクが張れるようにして、口を開けて待っている状態で、夢半ばではありますが)。

2008年7月10日木曜日

農薬取締法(つづき)

前の、農薬取締法の「生物試験はメーカに任せろ」は、多分既存の財団法人とか、社団法人とか公務員の再就職先の問題で反対する人が多いのだと思いますが、これらの既存機関の本当の使命をもう一度考える必要があると思います(必要がない、ということではありません)。
元々、これらの機関は「試験法の統一」「試験の品質の向上と平準化」等を使命として作られてきたはずです(これ以外に、民から官へのお金の移動の為の機関という役割もありましたが)。 そして、この機能は現在今日でも依然として重要な物だと考えられます。 ただ、対象を官の試験研究機関だけではなく、民の試験研究機関にも拡張すれば良いだけです。
ここ10年の試験の品質を考えると、大変劣化していると思います。 メーカであっても、社内の基準はあっても、技術レベルの向上には他社との交流や、公開の場での客観的な評価が必要だと思います。
 そこで、提案。
 試験研究機関(生物試験)の評価基準を策定し、それに照らして、1〜3年に一回査定を行い、認証する、認証制度を設ける。
 この認証を得た研究機関のデータのみが、登録の取得の為のデータとして使用することが出来る。
 これら認証された機関が作成したデータは、従来どおり、公開の場での評価討議の対象とし,そこでの最終総合評価が登録内容に反映される。
 試験研究機関に付いては、公的、民間をとわず、認証を取得した機関とする。(これにより、認証取得機関の間での試験品質は保たれるし、全体としての向上にもつながる。 逆に、参加していないと、取り残される)。
 認証と試験成績討議、評価には、一定の経費を負担してもらう。 etc....

ま、全体として、生物試験のISO9000見たいなイメージで、認証機関としての「日本植物防疫協会」「日本植物調節剤協会」をイメージしています。 (何故,この二つが要るのか、一つではダメなのか? は、色々あるので、対象外とします。)

2008年7月1日火曜日

農薬取締法

世間で殆ど全てが悪の様に言われている「農薬」。 
これを規制している法律が農薬取締法です。 そこで、ちょっと調べてみると、
昭和23年7月1日に施行されており、
第1条の目的に
この法律は、農薬について登録の制度を設け、販売及び使用の規制等を行うことにより、農薬の品質の適正化とその安全かつ適正な使用の確保を図り、もつて農業生産の安定と国民の健康の保護に資するとともに、国民の生活環境の保全に寄与することを目的とする」 とあります。 
昭和23年の状況を考えると、実に広範な目的を包含した素晴らしい文章ではありますが、要するに、戦後の食料、資材不足のなか、「農薬」と称した紛い物商売が横行し農業生産に支障をきたしていたのを取り締まる為、農薬の生産と流通を規制するために作られた法律なのです。 (当時は「農薬」はプレミアム・ブランドだった!!)

その後、有機燐系の急性毒性の強い農薬の登場とか、レイチェルカーソンのサイレントスプリングによる有機塩素系の農薬の環境への影響、サリドマイド(医薬)による胎児への影響の確認による催奇形性試験等の長期毒性試験や発がん性試験の充実、また最近では食の安全への関心の高まりによる、作物群の細分化、環境面の規制の強化等、時代の要求に合わせて改正、拡充が図られています。

しかし、当初の目的が紛い物の規制であった法律ですので、その幹に色々貼り付けてみても、自ずと限界があるように思えます。 例えば、第2条(農薬の登録)は平成14年に全面改正されていますが、農薬の薬効・薬害の試験成績提出が残っています。
当初は、農薬としての効能を証明するため必須だったのでしょうが、今となっては製造物責任法とか、公正取引に関する法律と重複しているように思えます。 
 特に、この効果・薬害の試験に関しては、「公的機関」で確認される必要があるために、多くの時間と費用が掛かります。 特に、微妙なのは、作物と虫の組み合わせなので、キャベツのアブラムシの試験はキャベツのアブラムシにしかならない、ということです。 アブラムシにも色々ありますが、キャベツにつくアブラムシに効けば、白菜やレタスのアブラムシにも効くことは(一部例外があったとしても)容易に想像が付くと思いますが,法律ですので、それぞれに試験がなされ、効果が確認される事が必要です。
公的試験を管轄している所は、所管官庁との繋がりが強い所ですから、世に言う「天下り先」なのかもしれませんが、結果として、実に下らない試験を時間と経費と人をかけて毎年行う事になります。 試験を実際にやっている人にとっても、とってもつまらない試験のはずです。  

 農業のコスト低減で農薬の価格が常に取り上げられていますが、生産コストに占める割合は高々7%で、これがすべてタダになっても、コスト低減に繋がるとは思えませんが、本当に低減をしたいのなら、この様な法律について見直すべきではないだろうか、と思います。  効能として商品に謳った物が、効かなければ、不当表示でしょうし、農薬が効かなければ収量被害が出ますので、製造物責任にも問われる可能性があります。 従って,生物効果・薬害はメーカが自己責任で保証すべき事項ではないかと考えます。 公的試験については、結果責任を問われる事はありませんので、その意味でも、販売者が責任を持つ体制は、試験その物の品質向上にも繋がる、と考えられます。 (農薬が、必要な物として認められていた時代、公的試験を行う人達も非常にモラルが高く、意欲的で刺激された物です。 しかし、今の時代、「出来ればやりたくないけど、自分の研究の試験費の足しになるからしょうがないやる」意識の人達が多く、試験の品質は必ずしも高くないのが現実なので、公的試験がほんとに正しい考え方なのかは甚だ疑問なのです)

 国は、国民の安全に関わる、残留基準やそれを満たす為の収穫前処理日数の所をしっかりと試験・検査し、効果・薬害は当該メーカの試験データとその確認の為の一部の公的試験、といった役割分担をして効率化を図った方が、全てにとって良いのではないか、と思っているのですが、中々そのようにならないのは、公務員の再就職先の問題があるから? それとも法律の縄張り争いの問題?  

  農水省には、今後10ー20年の世界の食料事情、物価を勘案した、日本としての食料政策、農業生産政策(ひょっとしたら、再生産可能なエネルギーの生産供給計画も)などもっと重要な仕事に専念して欲しいのですが,、、。 少なくとも、これ以上「猫の目行政」と言われ無いようになってほしい!!

2008年6月28日土曜日

全農肥料の大幅値上げ

シェアを握っているとなんでもできちゃう、典型かもしれません。
肥料の3要素NPKは一体どこへ行ってしまうんだろう? 米のようなデンプンには含まれていないし、水質汚染を考えると、かなりの部分は使われることもなく、川から海へ流れてしまうんでしょうね。 また、畜産動物の排泄物による汚染を考えると、かなりの部分が作物の廃棄部分に残っているのでは、と想像されます。

だったら、発想の転換!
いな藁、農業廃棄物を分解してバイオエタノールを生産しようとしていますが、これを「肥料の再生産の過程で出来る副産物」と考えたら、今考えているよりはるかに経済性のあるデザインが出来るのではないだろうか? バイオエタノールの燃料としての利用は20-30年で終わり、燃料電池へ移行するでしょうから(エタノールを使う燃料電池もありますが、効率は良くない)、そうなるとエタノールの使い道も限られてきます。この時、また農業への一時的なインパクトを作るべきではありませんので、「このプロセスは、投入した肥料を回収して、肥料として再生する過程で産生されるエタノールの有効利用」と位置付けた方が適当かと考えられます。
勿論、エタノール抽出後の残差中の窒素がアンモニア態窒素であるとか、PもKも肥料として機能するものである必要がありますので、何らかの後工程が必要でしょう。

いづれにせよ、早く、この再生産プロセスが稼働して、石油の価格で物価が右往左往するのが収まって欲しいものです。

2008年5月31日土曜日

減反政策の見直し?

町村官房長官の「減反政策を見直す」発言が報じられていましたが、これはどのように日本農業に影響するのでしょうか?
これを契機に、日本農業がもっと耐性の強い若い人も職業の選択肢として積極的に選ぶ業種になって欲しいものです。 間違っても、民主党のような現状迎合主義(票熱め主義)に終わらずに、積極的な農業への転換点となって欲しいと期待します。
どう考えても、20世紀末から今までのような、豊かな食生活を日本人が満喫できる状況には無いのですから(為替レート、日本の産業の強さ、世界的な食料需給のどれも、悲観的な結論しか示さないように思えます。)

しかし、農業政策があまりにも近視眼的に行われてきていて、真面目な農家がその犠牲にされて、折角の大規模化の芽さえも潰されている現状には腹が立ちます。  大日本帝国の時代から、農水省(農務省)は、まともな事してこなかったのではないだろうか?

2008年5月18日日曜日

We社会とMe社会

昔の本で、大前健一氏の著作に表題のような本がありました。
趣旨は、日本は「全体の調和のなかで決定を下す」が,欧米では「個人の利益が決定的な要因となる」といった話だったと記憶しています。 しかし、この10ー20年の世の中見ていると、もうこの様な見方は日本に当てはまらないのでは?と思えます。
先日、21時のNHKのニュースで「食料自給率や世界の食料生産・供給」について話されていましたが,食費の高騰に対して「家庭菜園」で対応している主婦を紹介して、キャスターも「自分たちもやっている」的な好意的なコメントをしていましたが、これこそ「自分が良ければ、他はどうでも良い」という個人主義の典型では無いでしょうか? NHKという立場で、このような取り上げ方をすることには情けなさを感じます。
世界的に見れば、農地は増えず、生産性も大幅な向上は期待できず、人口は増え続けている、いわば「ゼロサム」の状況である以上、誰かが良い思いをすれば、誰かがヒモジイ思いをするのが現状であり、これは今後も変わらないでしょう。
従って,耕作放棄地を大量に作り出して、他の国から食料を輸入している我が国の状況は、重大な犯罪行為を世界に対して行っている、という自覚から日本の農業問題を考える必要がある物と思います。
四川省地震への援助・協力など一時的な対応だけでなく、常に天下国家のことを考えながら行動する個人を復活させるために、マスメディアが主導的な役割をして行く自覚を望みたいと思います。

アメリカから輸入した安っぽい「Me主義」が蔓延ってしまっている、今の日本では尊敬される国にもなれず、国連の常任理事国の資格も無いのではないでしょうか? ただ単にこの様な役割を金銭で買うというのには、疑問を感じてしまいます。

食料自給率と国内生産、、、

四川省地震やミャンマーのサイクロン被害は直接的な被害だけでなく、今後食料供給の観点から世界経済に大きな影響を与えるように思われます。  自給率の向上という、あくまでも自分たちの消費の為の生産という日本の農業生産の姿勢を、もう少し違った観点で考えるべき時が来ているのではないでしょうか?
 1)世界の農業生産可能面積は(arable land)増えない
   砂漠化、塩害、発展途上国の工業化等で世界的に農業生産可能面積は減ることはあっても、増えることはない。
 2)農業生産性が大きく増えることもない
   単位面積当たりの生産量が2倍、3倍になるような技術革新(GMOを含め)は知られていない。
   耐塩性の向上、成分組成を変えることによる飼料効率の向上等は、期待される技術革新だと思われ、特に飼料効率の向上は劇的に飼料生産に必要な面積を減らす可能性はある。
 3)世界の人口は増え続け、GDPが上がれば食の嗜好がより効率の悪い肉食へ移行する。
   結果として、食料が余ることはなく、外国に多くの食料を依存することは、相対的な貨幣価値や世界の生産と需給状況という誰も管理できない要素により、国内の食料価格を変動させることにつながり、結果として一国の経済運営に大きな影響を及ぼす。

 結果として:耕作可能な農地を耕作放棄地として利用しないことは、世界人民・国民に対する背信行為である。
      また、根拠の明確でない有機栽培等で、生産性を大幅に下げることも、同様である。

と言えるとおもいます。

 でも、だからといって儲からない(生活できるほどの収入にならない)農業を強要されるのはおかしい!!

これこそ政治や行政が解決すべき問題なのではないでしょうか? 残念ながら、政治や行政がそのようなビジョンを示しているのを拝見したことはありませんが,,,.。

そこで、私見;
 1)穀物(米、麦)については明確に栽培面積を設定する、ただし、設定値は、国内消費を上回っていること。
   米は200万Haとする。 50万Ha分が過剰となるが、1年間備蓄し、災害援助などに利用し、2年目にバイオエタノール原料として消費する。 買取価格は (米の相場平均ーバイオエタノール原料としての価格)/2+バイオエタノール原料価格とする。(価格差の半分を補填する)。 備蓄はあくまでも、工業原料としてであり、WTOの対象にならない?
 
   農家は、自立する為には規模拡大と反収の増加をはかる必要がある。ーー>より効率的な農業へのインセンティブ

 2)農地集約へのサポート
   農業委員会の廃止(農地解放の為に出来た組織が何故今も生きているの?)
   農業生産法人(株式会社)の、定款の雛形の設定
    (株式会社のような運営をイメージし、出資者ー農地、資本、労働ーが出資比率の応じて権利を持つ物として)
    議決権の最大値を農地30%、資本30%、法人40%として、土地所有者や資本出資者が一方的に法人の運営を
     コントロール出来ないようにする。
    農地提供の対価に対する配当金への課税の免除。
    農地出資者が農地を引き上げるときのルールの確立。
    農業生産法人への課税方法のルールの確立(内部留保への課税を一定期間免除するなりして、資本の蓄積を図る)
    農業生産法人の従業員の地位の明確化(パートタイムだけで構成されるようなことをさせないで、
     後継者を必ず作らせる)
    配当が少なければ、出資者は生産法人の代表者を解雇することが出来る(この場合,多分、経営者から出資者に
     立場が変わる)

 3)農地の所有権へのこだわり
   2)の方法で、所有者は出資者として相応の配当を受けることが出来、またその配当が少なければ、経営者を解雇する
   ことができることにより競争原理を持ち込むことが出来る。 所有の意識は明確になる。

   ただし,本来「先祖代々の土地」を持っている農家は多くなく、その面積も1Haを越えることはないはずです(農地解放により、地主でも農地としては1Ha以上は所有できなかった筈)。 また、殆どの農家は、マッカーサーが作り出した自作農家であり、先祖代々という表現は当たらないのではないでしょうか?  更に遡れば、戦前の地主でも、大半は江戸時代に農地の所有権を持っていたとは考えられません(管理責任は持っていたのでしょうが、所有権はその土地の殿様にも無かった、と考えた方が適当な解釈だと思いますー領地換えとか、取り潰しがあったのだから)。

   従って,「先祖代々、、、」という心情的な主張に付いては、どこかの時点で適切にその誤解をとく必要があると思います。

 4)農業は家族経営が基本?
   農水大臣もこれにこだわっていた様に聞いていますが、本当にそうだろうか?
   「農家の子供は、出来が良くても悪くても、好きでも嫌いでも農家」という発想自体戦前の意識を踏襲していて、
   日本国憲法にある「職業の選択の自由」に抵触する可能性もあるのではないでしょうか?
   このような、戦前からの意識で無意識に引きずっている物に付いても、見直してゆくことが必要なのではないでしょうか。

国の責任ある方々が、現在の農業の矛盾を果敢に改革してくれることを切に望んでいます。

2008年4月2日水曜日

二大政党制信奉者の小沢某はホントにその意味わかってるのかな?

小選挙区制等々、選挙制度の改革は「二大政党制」を是とする世の意向を反映させたものだと理解していますが、結局は、その提唱者達(特に小沢某)は二大政党制が意味するもの、そのような状況で政治家が必要とする能力(交渉力? コミュニケーション力、世論に対する働きかけ)について全く理解せずに、「隣の芝生の方が青い」的な感覚で英国や米国(両方ともアングロサクソンだな)を見て進めていたとしか思えないような政治状況になってしまっているように思えます。

お互いに強い力を持った者同士が、パブリックに意見を述べ合い、対立点を明確にした上で、その時点でのベストな解決策を選択してゆくことが二大政党制のもっとも重要な点ではないでしょうか? 少なくとも、何年かに一度の選挙で、右に行ったり左に行ったりしたら、その都度総入れ替えの政権では国としての政策の一貫性を維持できず、対外的に見た場合に「不安定な国家」をアッピールするだけの結果になってしまいます。 また、「二大政党制」であっても、政権担当政党がその間は独裁的な支配権を発揮している状態になってしまい、50年体制と呼ばれてきた戦後の政治状況(結果的には自民党一党独裁)と何ら変わりがありません。

「二大政党制」を標榜するのであれば、政権を担わない政党の正しい役割の在り方、そしてその為の力の発揮の仕方について、政治家の方々はもっと真剣に考えていただきたい。
国民経済を政争の具にした、今回の一連のゴタゴタは、どちらの党首にとっても大きなマイナスでしょうし、たとえ解散総選挙で、政権が入れ替わっても同じことが立場が入れ替わって繰り返されるだけの話では? (参院を持っているから、衆院をとれば我が天下、と戦国武将のように考えている、愚かな政治家がいるのかもしれませんが、国民はそこまで馬鹿でもないと思います)。

もっと、その時々に、お互いの果たすべき役割をしっかり考え、大人の行動をして欲しい、と願います。 厚生大臣を問責しても、何も始まらないし、今の年金の問題は誰がやっても大差はなかったのではないでしょうか? 多分、問題の大元は「国民総背番号制」と称され、大々的な反対で葬り去られた法律くらいから始まるのではないでしょうか? (年金問題の解決に、この議論が出て来ないことが不思議ですが、私自身に番号とパスワードが10も20もある現状が便利だとは思っていませんし、何とかして欲しい)。

最近、小沢某の顔がテレビに出てくると吐き気がしてきます。

2008年3月24日月曜日

民主党に投票したのは間違いだった!!

自民党が数の力で何でも通す見せかけの民主政治が少しは変わるかと思って、参院選では民主党に投票しましたが、全く間違っていました。 誰も、「民主党が、新たな自民党になってもらいたい」等とは思っていないはずです。 お互いに、「何故?」をもっと深く討議し、その上で個々の議員が「是々非々」で投票可決する、真の議会政治に戻って欲しい、そのキッカケになってほしいと期待していましたが、全くの幻想でしかありませんでした。
国会討論を聞いていても、極めて次元の低い「説明責任」等という言葉とはかけ離れた議論が行われ、ただただ時間の無駄、税金の無駄だと思えます。 説明責任を適切に果たせないのは、政治家の問題というよりは、戦後の教育(今も続いている)の問題なのでしょうけど。
残念ながら、今の政治は、愚衆政治の極みだとしか思えません。 党議拘束?だとか、XX派だとか、親分子分の世界で政治が行われる日本の将来には悲観するしかないのだろうか?

もう、民主党には投票しません。 民主党が多数を占めても、結局は「自民党」が「民主党」に置き換わっただけで、何も変わりそうもないのだから、、、。 そもそも、「民主党にいきなり任せましょう」などと考えている国民がいると思い込んでいる民主党は思い上がりがはなはだしい。 党首が言っていたように「政権能力」なんか無いですよ、民主党には、、、。 政権担当能力が無い政党が数の力で政権を担うことになれば、今よりも悪くなることは明らかなのですから、、、。

それにしても、福田さんももう少しマシかと思っていたけど、、、、。 ヒドいねー。

2008年3月5日水曜日

輸入加工食品の安全性は誰が責任を持つべきか?

メタミドフォス混入ギョウザのお陰で、輸入加工食品についても税関で検査対象としてチェックを厳しくするようようですが、よく考えてみると、製造物責任の大きな部分を税金で賄っていることになり、何か納得がゆかないのは私だけでしょうか?
そもそも、加工食品を中国から輸入するのは「生産物の価格差だけでなく、加工賃も中間流通が取り込もう」という意図の基に行われている行為で、利益を優先するあまり、生産物に対する責任さえも放棄している所に問題があるように思います。 農作物の生産価格と、これらの加工費用を合わせれば、多分国内生産と比べて20倍以上の差が生じるでしょうが、結果産物の安全性の担保の為の管理や検査コストをこれに乗せることになれば、そこまでの価格差にはならないでしょう。 輸入業者や輸入業者に責任転嫁していたJTや生協は、「するべき事をせずに、その分を利益として取り込んでいた」と批判されても仕方がないのではないでしょうか? 企業としての姿勢を正す必要がある事を痛感して欲しい、と思います。

輸入業者、販売業者のこのような無責任な態度が、結果として日本の農業に大きな打撃を与えてきている事を考えれば、その責任は単に問題を起こしたということだけに止まらない、と思います。 もっと、ポリシーを持った企業運営をするよう猛省を求めたい。

そもそも、税関での検査は、業者の安全宣言について検証をするための物で、それだけで日本の食の安全を守ろうとするのは、行政の役割-税金の使われ方ーとして極めて歪であるし筋違いな物だと言わざるをえない、と考えます。 現実的にも、税関の検査だけで安全性を担保することはどんなに税金をつぎ込んでも不可能なのですし。 食のビジネスに関わる全ての人がもっと倫理観を持ってビジネスをすることを切に願います。(問題を起こした場合に、もっと厳しい罰則を適用する事も視野に入れて、この問題に対応する事を政府に求めたい)。 

排出量取引について

温暖化対策の一つの方法として「排出量取引(排出権取引)」が議論の俎上に上がっていますが、どのように基準値を決めるのか、其々の思惑もあり中々結論が出る様子が見えません(見えないように思えます)。
そこで提案;
 1)産業別(どのように分けるのかは別の議論が必要ですが)に排出量の実態(一生産単位に対してXX:例えば粗鋼1トンに対してxx)を把握する。
 2)1)の値に対して長期的な削減量が20ー50%となるような、年毎の削減目標値を向こう10年間に渡って設定する。(一気に削減する事は現実的では無いので)
 3)2)で設定した年次別の削減値と各個別企業の排出量実態の差について、取引の対象とする。
 4)2)の設定値は3年毎に、達成度合いを勘案して見直す。

これであれば、先行して努力した企業の成果も適切に評価される結果となり、また業種による不公平感も発生しない。また、生産単位に対しての削減目標値なので、生産効率を高める事が肝要で、生産規模には影響を受けない。 
また、外部から見れば、業種別に達成努力の平均値を把握できる結果、個別の企業にではなく、業界団体に対して大きな圧力をかけることが出来る。 結果、業界全体としての削減努力を促進する事にもつながる。

 業界毎の目標値が出来上がれば、国際的にも比較することが可能となり、より効率の高い生産を後押しする事につながり、日本の省エネ技術を海外に輸出するための、大きなインセンティブにもなる。

 この位のところが、夏のサミットで日本の提案として出せれば、我が国も地球環境問題でのリーダーシップを意地出来るのではないだろうか?

 私は、排出量取引が都会と地方の格差の是正の原資としても使えるのではないだろうか、そうすれば地方が都市部の善意に縋るような屈辱的な方策を取る必要もなくなると思うのですが、、、。

2008年2月25日月曜日

「あたご」

農業とは関係ないけど、腹が立つので、、、

そこのけ、そこのけ、「あたご」が通る、、、だったのですね。 高いおもちゃ買ってもらって、ハワイまでミサイルの撃墜実験しに行って「アメリカ以外で初の実験成功」に気をよくして、「英雄気分(殿様気分)」で帰ってきたのでしょうが、一体何の為の自衛隊なのでしょうか?

関係する当直士官も艦長も名前は明かされず、謝罪にも出てこない。ただひたすら、現場と無縁の大臣と関係幕僚が聴き齧りの情報の説明と言い訳に終始する。  そもそも、衝突直後に停止したら、なぜその場で救出活動を開始しなかったのか? (プレジャーボートで事故起こした人の名前は、即座に表に出るのですが、公務員には、この様な特権も付与されているのでしょうか?)

ほとんど、小学生の悪ガキの親が平身低頭で誤って、悪いことをした本人は出てこない、のと同じように思われます。ということは、海上自衛隊では現場の人間は「一般の成人」としては認められていない、ということなのでしょうか?

武人として、やってしまった事は仕方ないとすれば、「海の男」「武士道精神を受け継ぐ日本男子」としての教育的な面もなく、ただただ女々しく自己保身を図る軍隊の姿は、情けないを通り越して哀れとしか言いようがないし、国の防衛をこの様な輩に託している我々は、本当に大丈夫なのだろうか?

組織が組織の人間の罪を情状酌量して、日本を大きな間違った道に誘導した過去の歴史は、2、26だったか、満州事変だったかの時の、阿南陸軍大臣の「彼らのキャリアに傷がつくから、、、」に始まり、戦前、戦中を通して枚挙に暇がないことは周知の事実のはずです。
  
決して同じ轍を踏まないように、何か行動を起こすべき時なのかもしれません

それにしても、何かというと責任問題、大臣の辞任、問責決議、を振りかざす「民主党」には愛想が尽きます。 諸君の利益ではなく、今国民にとって本当に必要なことは何なのか、もっと真面目に考えてくれないと、政権与党どころか、見捨てられてしまう事が分かっていらっしゃるのだろうか? (もう既に、色々な所で、「小沢はいやだ」と言われていることをご存じないのでしょうか?)

2008年1月31日木曜日

行政府は米の生産についてのまともな長期ビジョンを示すべきでは

誰(行政も、生産者も)も現実として分かっているのに、触ろうとしない。 
まるで、戦時中の「一億総玉砕」の状況に近いのがコメの生産農家の実態ではないでしょうか? このような方向性がよく見えない状況で進めば、本当にコメ農家がいなくなってしまうのではないでしょうか?
敢えて、大胆な予測と提言を試みる
前提)
1)人口からみるコメ需要
 127百万人X60kg年 = 7,620,000 トン
5トン/haの収量があるとすれば、必要な面積は
7,620,000/5 = 1,524,000 Ha
  
要するに、WTOの輸入枠を除いても今の1660千Haから更に150千Ha減らさない限り過剰生産となっている。
また、人口は今後減ることはあっても、当面増えることはない。 老齢化から、消費量も減ってくるので、更に需要は減ってゆく。
  従って、食用としての米だけを追求してゆけば、先行きは極めて暗い。
2)価格の下落
  過剰生産から、コメの価格は低下の一途を辿っているが、農家の対応は「高付加価値、高価格品へのシフト」での対応なので、結果として「高付加価値、高価格品」の価格が下落している。 また、退職者の余暇の生産農家と、生活の糧を得るための専業農家が同一市場で競争するような状況で、専業農家にとって、より不利な状況を作っている。 (有機、無農薬等の小規模生産による付加価値は必ずしも生産者に還元されておらず、中間流通の搾取の対象となっている。 -コメは元来ブレンドすることが基本の流通構造をしており、偽装が行われやすい流通機構になっている。 また、手間の分が、必ずしも価格に反映されていない)
  どこまで価格が下がるのか、誰も着地点を示していないことが、問題を大きくしている。

3)高付加価値品への移行の危険
  工業産品でも、「イノベーションのジレンマ」(クレイトン・クリステンセン)で示されているように、最終的に崖っぷちに追い詰められてゆくような戦略であり、長期的にとれる戦略ではない。 (高付加価値が消費者のニーズを超えた所で、価格に転嫁が出来なくなることと、低価格品の品質が上がる事により、市場から追い出される)
  農業産品として、最も危険なのは、「土地は固定資産」であり、ここからの収益を最大化しなければ農業は成り立たない。 従って、生産調整や、価格に転嫁できない高付加価値化による収量の低下は直接的に農業の経営そのものに影響を及ぼす。 また、育種、栽培など時間が必要な研究開発が、高付加価値にシフトされているとすれば、本来の「生産性を上げる」方向への舵の取り直しには、想像以上の時間を必要とすることになり、簡単には対応が出来ない。

提言)
 1)コメの価格の予測
    60kg 6000円程度を下限(向こう10年)と設定して、この価格で年収1000万円程度が確保できるコメ農家を創出する。 (現在の農水省などの言う規模拡大は具体的な目標ビジョンが示されていない!)
    根拠: 米国のコメ価格との比較、中国への輸出量の拡大(中国のGDPの増加)を考えれば、中国の生産価格を対象とする必要はなく、また、他用途への転用の容易さなどを考えれば、この程度の価格帯が一つのレベルだと、現時点の為替レート等からは予想される。

 2)収量の拡大
    食用を専らとする政策から、コメの収量の減少は行政的に好ましいものと見られてきたが、農家経営からは、やはり、Ha当たり8トン~10トンの収量が得られ且つ消費者の食味を満たす品種を育種する必要がある。

 3)消費の拡大
    食用としての拡大
     もっと簡単に、朝でも簡単に準備できる調理法
     発芽米粉の小麦粉のような用途等、新しい用途の開発
     品質が保証された米としての輸出
    飼料としての利用
    バイオエタノールの原料としての利用
 
これらの数値から試算される総収量と農業経営の損益
  国土保全の観点から栽培面積を2百万Haとし、収量を8トン・Haとする。
  総収量:16,000,000トン
  用途別: 7,200,000トン =国内食用
200,000トン =輸出用
3,000,000トン =家畜飼料
5,600,000トン =バイオエタノール(33%の収率として、1,848,000Kl)

結論として、この程度の価格でも100Ha規模を6人で経営すれば、1000万円の粗収入が得られる経営が可能なのです。 従って、生産物の消費が安定して確保できるような、政策が確立されることが必要であり、特にバイオエタノールの利用促進が、コメの生産を安定化させるためにも必要になるものと考えられます。 稲藁によるバイオエタノールの生産と併せて、石油価格を150円程度とすれば、80~100円程度の助成が必要で、千五百億から千八百億円の助成措置が必要となります。
(助成措置も含めて、現状のような、経済産業省と環境省がバラバラに推進して、停滞している状況で、夏のサミットでどんな顔して環境重視の姿勢を示すのでしょう? 首相はいまだに石油会社と関係あるのかな?)

メタミドホスの中毒事件

とうとう発生してしまいました。
しかし、どの報道も「農薬として使用されたメタミドホスの残留」が原因のように言っていますが、聞いたところの報道からすれば、ちょっとおかしい。 餃子の大きさ、その中に入っている具の量などを考えると、どう考えても、作物に残留するメタミドホスに由来する事故、というより「意図的、或いは非意図的」に混入した(された)かなり濃度の高いメタミドホスが原因と考える方が適当だと考えられます。

(高濃度の混入が考えられるケースとして;
1)具の中に、使用する前に高濃度の薬液にディッピングされていたものがあったー有機リンとしてこのような使用は普通行わない。 
2)餃子の皮の小麦粉の中にメタミドホスが混入していた。 小麦粉の原料の袋のそばに農薬が置かれていて、使ってしまった等々
等が考えられますが、概ね農業生産者に起因するものではなく、最終生産工場レベルでの問題)

農薬の専門家等という人が、報道番組に出て来てもこの点について、何ら指摘していないのは大変残念なことです。 本当の専門家が適切にこの点について早期に説明することが、原因の究明と公表と共に必要かと思います。 
放置すれば、また農薬に対する非科学的な批判が広がる事になってしまうのでは?と危惧します。