2008年5月18日日曜日

食料自給率と国内生産、、、

四川省地震やミャンマーのサイクロン被害は直接的な被害だけでなく、今後食料供給の観点から世界経済に大きな影響を与えるように思われます。  自給率の向上という、あくまでも自分たちの消費の為の生産という日本の農業生産の姿勢を、もう少し違った観点で考えるべき時が来ているのではないでしょうか?
 1)世界の農業生産可能面積は(arable land)増えない
   砂漠化、塩害、発展途上国の工業化等で世界的に農業生産可能面積は減ることはあっても、増えることはない。
 2)農業生産性が大きく増えることもない
   単位面積当たりの生産量が2倍、3倍になるような技術革新(GMOを含め)は知られていない。
   耐塩性の向上、成分組成を変えることによる飼料効率の向上等は、期待される技術革新だと思われ、特に飼料効率の向上は劇的に飼料生産に必要な面積を減らす可能性はある。
 3)世界の人口は増え続け、GDPが上がれば食の嗜好がより効率の悪い肉食へ移行する。
   結果として、食料が余ることはなく、外国に多くの食料を依存することは、相対的な貨幣価値や世界の生産と需給状況という誰も管理できない要素により、国内の食料価格を変動させることにつながり、結果として一国の経済運営に大きな影響を及ぼす。

 結果として:耕作可能な農地を耕作放棄地として利用しないことは、世界人民・国民に対する背信行為である。
      また、根拠の明確でない有機栽培等で、生産性を大幅に下げることも、同様である。

と言えるとおもいます。

 でも、だからといって儲からない(生活できるほどの収入にならない)農業を強要されるのはおかしい!!

これこそ政治や行政が解決すべき問題なのではないでしょうか? 残念ながら、政治や行政がそのようなビジョンを示しているのを拝見したことはありませんが,,,.。

そこで、私見;
 1)穀物(米、麦)については明確に栽培面積を設定する、ただし、設定値は、国内消費を上回っていること。
   米は200万Haとする。 50万Ha分が過剰となるが、1年間備蓄し、災害援助などに利用し、2年目にバイオエタノール原料として消費する。 買取価格は (米の相場平均ーバイオエタノール原料としての価格)/2+バイオエタノール原料価格とする。(価格差の半分を補填する)。 備蓄はあくまでも、工業原料としてであり、WTOの対象にならない?
 
   農家は、自立する為には規模拡大と反収の増加をはかる必要がある。ーー>より効率的な農業へのインセンティブ

 2)農地集約へのサポート
   農業委員会の廃止(農地解放の為に出来た組織が何故今も生きているの?)
   農業生産法人(株式会社)の、定款の雛形の設定
    (株式会社のような運営をイメージし、出資者ー農地、資本、労働ーが出資比率の応じて権利を持つ物として)
    議決権の最大値を農地30%、資本30%、法人40%として、土地所有者や資本出資者が一方的に法人の運営を
     コントロール出来ないようにする。
    農地提供の対価に対する配当金への課税の免除。
    農地出資者が農地を引き上げるときのルールの確立。
    農業生産法人への課税方法のルールの確立(内部留保への課税を一定期間免除するなりして、資本の蓄積を図る)
    農業生産法人の従業員の地位の明確化(パートタイムだけで構成されるようなことをさせないで、
     後継者を必ず作らせる)
    配当が少なければ、出資者は生産法人の代表者を解雇することが出来る(この場合,多分、経営者から出資者に
     立場が変わる)

 3)農地の所有権へのこだわり
   2)の方法で、所有者は出資者として相応の配当を受けることが出来、またその配当が少なければ、経営者を解雇する
   ことができることにより競争原理を持ち込むことが出来る。 所有の意識は明確になる。

   ただし,本来「先祖代々の土地」を持っている農家は多くなく、その面積も1Haを越えることはないはずです(農地解放により、地主でも農地としては1Ha以上は所有できなかった筈)。 また、殆どの農家は、マッカーサーが作り出した自作農家であり、先祖代々という表現は当たらないのではないでしょうか?  更に遡れば、戦前の地主でも、大半は江戸時代に農地の所有権を持っていたとは考えられません(管理責任は持っていたのでしょうが、所有権はその土地の殿様にも無かった、と考えた方が適当な解釈だと思いますー領地換えとか、取り潰しがあったのだから)。

   従って,「先祖代々、、、」という心情的な主張に付いては、どこかの時点で適切にその誤解をとく必要があると思います。

 4)農業は家族経営が基本?
   農水大臣もこれにこだわっていた様に聞いていますが、本当にそうだろうか?
   「農家の子供は、出来が良くても悪くても、好きでも嫌いでも農家」という発想自体戦前の意識を踏襲していて、
   日本国憲法にある「職業の選択の自由」に抵触する可能性もあるのではないでしょうか?
   このような、戦前からの意識で無意識に引きずっている物に付いても、見直してゆくことが必要なのではないでしょうか。

国の責任ある方々が、現在の農業の矛盾を果敢に改革してくれることを切に望んでいます。

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