2009年1月20日火曜日

Share Holder Value Added

1994年、東京に戻ってグローバルの製品開発組織に加わったときに、始めて聞いた言葉でした。 要するに、「会社は株主の為にあり、全てのプロジェクト(経費)は会社の株主価値を上げるために使われなければならない」という、米国資本主義を凝縮したような考え方で、これが数式で計算出来ちゃうんですね。 最初からこの考え方には違和感がありましたし、MBAの教科書見ればどっかに出ているでしょうから、数式は覚えていませんが。
そして、IT関連ベンチャー会社でストックオプションが優秀なエンジニアの流出を、実際の出費を先送りして食い止める手法として盛んに使われ始めて(この頃は、ストックオプションは経費計上されていなかった)、それが株主価値と経営をより直接的に結びつける手法として、会社の経営陣(CEO、Director)にも使われるようになりました。 ここにきて、やっとストックオプションが経費計上されるルールが出来ました(米国のITバブルの最盛期のちょっと前かな)。

考えてみれば、「優秀なエンジニアを引き止める為の手法」としてのストックオプションの当初の目的は極めて健全な考え方だったと思いますが、これを何故経営層にまで適用してしまったのか? 
経営層は自分たちで株価を操作できる立場にいて、尚且つストックオプションでボーナスを貰うのですから、少々の嘘ついてでも株価を上げようとするインセンティブが働いてしまいます。 
エンロン等の不祥事はここら辺が効いているように思います。 リーマンでも何処でも、米国の会社が短期的な利益追求に走るのは、多くの場合ここに原因が有るように思います。 「連続4四半期業績を向上できなかったら馘」とか言われているCEOに、10年先の製品開発なんかにお金をかける理由は無いですから。

結果として、米国には人気商売のCEOが多くなって、中身のコア技術やコンペテンシーがあんまり無い会社が増えてしまった様に思えます。また、米国式資本主義の尻を追いかけてきた日本の企業の一部にも、そんな会社があるかもしれません(特に新興企業)。
短期の株の売買で設ける株主を大事にする、株式会社という物は長期的に成立しないし、その意味で、株価の短期的な上昇を求める経営って、結局はMBAを持って、次から次へと会社を渡り歩く「経営屋」の為のものでしかなかったのではないでしょうか? 例えば、年金基金何かでも、短期的な売買益でギャンブルして儲けるより、株主配当と長期的に安定した株価の上昇の方が良いはずです。

今一度、会社は誰のもの? と云う事とともに、会社の業績への貢献をどのように、社員、経営者、株主に還元するのか、ストックオプションのあり方も含めて考える必要があると思います。

ついでに、現場の労働者をコストの調整弁として使う米国式の数値管理企業経営(ハルバースタムがマクマナラを扱ったReckoningーフォードと日産の話ーに問題の指摘がある)からも、この際決別して、新たな企業のあり方とか企業の経営を考える時かもしれません。

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