2008年12月26日金曜日

需要創造で難局を乗り切れ!!

今の経済状況を乗り切るために、政治的に一体何が必要なのでしょうか? 弱者救済の為の一時的な金銭の支給では根本的な経済の建て直しには繋がらないのではないでしょうか? 金が欲しいのではない! 仕事が欲しいのだ!! が現在の状況なのでしょう。

であれば、政治的にしなければならないことは?
 需要の創造 だと思います。 

 どうやって?
  例えば自動車だったら、環境対策車に対して、時限立法で取得税を半額以下にする、また、自動車税、従量税等も大幅な軽減措置をとり、環境対策車への買い替え需要を促す。 ここで環境対策車の定義を、”過去3年間の同一カテゴリの自動車の平均に対して20%以上二酸化炭素排出を抑制した物”のようにすることにより、更に買い替え需要を継続的にすることが出来ます。  これで、一時的に需要を創出する事が出きると同時に、低炭素消費社会への移行を促すことが出来ます。

  自動車以外では? 同様に、二酸化炭素の平均的な消費量を計算し、それに対して一定の改善の見られる物に対する税制上の優遇措置を講ずることにより、低炭素社会への移行を促すとともに、買い替え需要を創出するー取得税が無いので、消費税を例えば、5%ー>1%にするとか、、、。 (自動車税のような仕組みが無いので、非効率な旧タイプを使っていることに対するペナルティを掛けにくい部分に少々問題があり、自動車の様にクリアな物にはならないかもしれませんね。)

 とにかく、今は 需要の創出(ほとんどのニーズが満たされている以上、買い替え需要の創出)が政策的に必要なのではないでしょうか?  太陽電池等の自然エネルギーの利用に付いても、大幅な優遇措置を採ることにより、低炭素社会への移行を促進すると共に、新たな需要創造に繋がる物と思います。

 日本人は、完成された技術に基づく製品にしか興味を示さないように思いますが、低炭素や自然エネルギーなど新しい分野ではこれを待っていたら10年以上先のことになってしまい、世界から取り残されてしまいます。 今こそ、開発者、製造者そして消費者が一眼となって、”禍転じて福となす” を実践するときではないでしょうか。

2008年12月22日月曜日

農業は非科学的で教育はいらない?

「どうせ俺は百姓の倅で、勉強なんかする必要ない」と言っていた算数のメッポウ強い小学校の頃の友達のことを思い出します。 江戸時代の士農工商から、ずっと農業は非科学的で教育よりも経験の産業、という雰囲気が有ると思うのは私の偏見でしょうか? 
一応、農学部を卒業して、農業関係の仕事を30年して、結局は「科学がそこまで追いついていないから、農業は経験に頼った方がよい結果が出てしまう」と個人的には結論付けています。 
 個別の科学は、其々それなりの成果を上げているのでしょうが、複数の組み合わせの結果としての農業生産という結果にまで繋げる所までは至っていないように思います(これは、数学的には組み合わせが多すぎて永遠に無理なのかもしれませんが、人間の経験がそれなりの結論を出し、それなりの精度を持っているので、何らかの科学的方法が有ると思うのですが、、、)。

 色々な組み合わせ、それも状況によって重みが違う組み合わせ、という事を考えると、個別の数学的な推論をWEB上で任意に組み合わせて、結論を得るような、一つのパッケージで処理するのとは根本的に異なるアプローチが必要なのかもしれません。 

 そういった研究の場としてのWEBを考えると、生産履歴、気象情報など多くの情報が広く公開されることにより研究が進み、ブラックマジック的農業から、科学的農業への転換が図られる事が望まれます。  私が学生の時代は、植え付けからの積算温度を計算するのさえ、実際に温度の記録を自分で紙に書き込む所からしなければならなかったことを考えれば、データがCSV等で入手可能で、色々と分析が可能な今の時代、もっとこの分野での進歩が期待されます。

地方自治がするべき事!?

地方へ行くと、土木関係の事業者が異常に多いように思います。 多分、過去の補助金行政による公共事業への経済の最適化が進んだ結果なのでしょう。 そして、小泉改革の所為で、ここが決定的に打撃を受けているように見受けられますが、これを昔に戻して、公共事業で救うような方向の政策は、残念ながら問題の先延ばしにしかならないのではないでしょうか? 中小の土木事業者が大規模農業の母体になるとか、色々な模索がなされている所で、昔に戻すような方向性は全体に悪い影響を及ぼすのではないでしょうか?
喫緊の経済問題はちょっと置いておいて;
 地方の行政が本当にしなければならないことは何でしょうか?
  1)教育
  2)福祉
  3)企業誘致
私は、これだけだと思います。 1)が無ければ3)はありませんし、3)が無ければ優秀な人材は流出してしまいますので、1)が地方に悪い方向に働きます。 そして3)は財政の健全化には必須の要件でもあります。 
 自分が、親の死に目に遇う事ができなくて、「やっぱり、親が年取ったら、親の近くに住んでいるべきだろうな」と思っていますので、特に1)と3)は両輪の様に大切だと思います。 
 そして、中途半端な目標に向かって進むのではなく、「どんなことでも”日本一”を目指す」心意気が地方を変えるのではないでしょうか? 通信とか交通インフラが整備されている昨今、都会と地方の差は人口密度だけで、必ずしもビジネスに必須の要件ではないと思います(都会にビジネスが集中する必然性はない?)。

 少々辛い経済環境で、来年はもっと悪くなるのかもしれませんが、これを機に外部依存(米国依存、交付金依存、、、)の考えを見直し、自分の住む街を良くするために自分たちがしなければならない事を、其々が自ら問うて地方が活性化される事を切望します。 まずは、「自分たちの街はーこんな街ーになってほしい!」という大きなコンセンサスの形成が必要でしょう。

2008年12月18日木曜日

日本農業の危険性(売渡価格が見えない!)

 政府の作った米市場は流通量が少なく、開店休業状態。 業者(外食やスーパーを含め)が農家と相対で価格を決めている状態だと、相対取引の価格実態が全く見えなくなり、これは結果として、生産者に非常に不利な価格交渉を強いることとなります。

そもそも、戦前から有った「農協」、本来の仕事は小規模農家が買い叩かれないように、売渡価格に対する影響力を増すために出来たものだと思います(戦前は米は自由市場ー米相場や神戸の鈴木商店で分かるようにーで取引されていました。 勿論、共済とか、生産技術の共有等も有りますが)。 

 戦中からの統制経済の延長として、戦後も食管制度のもと、生産量も生産価格も政府が決める状況で、農協の役割が「政治力を発揮して生産米価を上げる」事にかわり、規模を利用した資材の調達価格の低減にも影響力を及ぼすことになりました(肥料は成功、農業機械は完全に失敗、農薬は??)。

 しかし、現在では政府が米を買い取ることもなく、価格を決めることも有りません。 この様な状況にあって、農協の役割って何なのでしょうか? 旧態然とした考え方、政治力を発揮して組合員を守る、では成り立ちません。 自分たちの食い扶持の為に自分たちの道を切り開く。 その為には販売価格を、少しでも上げて、販売数量を伸ばして、組合員の収入の増加、安定化を図ることではないのでしょうか?

 多くの農家が、農協離れを起こし、「付き合いで一部の米は農協に回すけど、直接販売が主」という農家が非常に多いように思います。 しかし、先に述べたように、相対取引の価格が見えない所での価格交渉は、個別農家ーそれも規模が大きいとは言えないーにとっては条件が悪すぎます(どんどん価格が下がることになります)。

 農協は、合併農協単位ではなく、管理できる範囲で「ブランド」として、生産管理を徹底し、食に対する安全と品質を強調した一定規模の販売数量を武器として、もっと積極的に販売価格の上昇に力を入れるべきではないでしょうか? その為に、営業マンを雇用することも必要でしょう。  

 資材を値切ることに人件費を使っても、10%も下がらないでしょうし、その人件費をまかなうことで消えてしまいます。 

 生産者価格と消費者価格の間には2倍程度の差は有るはずですが、本当にその価格差に見合う流通業者の役割が担われているのか、産地偽装とか、最近の後を立たない流通業者のモラルに関わる問題を見るにつけ、もっと農協が価格決定力を発揮するよう努力するべきだと思うのですが,,,。

未曾有の経済危機と対応??

失われた10年は日本だけの問題でした。 結果として、コストを抑えて輸出競争力を上げることで、何とか克服できた様に思います。 しかし、今度は世界全部で同時に起こっています。 今までの、企業の競争力を上げて輸出を伸ばして困難を克服する方法は通用しないのではないでしょうか? (一体、何処の誰が買ってくれるのでしょう? 中国だって米国とEUに依存しているのですから)。

企業のステークホールダーについて考えてみましょう;
 株主、従業員、企業の有る地域社会の3つだと思うのですが、米国流の企業統治でいえば、株主、株主、株主ですね。
経済は単純な算数の式で表されますが、実は正帰還(正のフィードバック)が掛かっており、給料が増えれば、購買が伸び、企業の生産が伸び、給料が増える、、、、、というループをたどります(そして、多分何処かで、今回のようなことになる?)

 従って、大昔のフォードのように(自分の従業員に車を売る)、何処かの企業が、消費に火をつけて経済循環を促進する事をしなければならないのではないでしょうか? 日経連等の打ち出している方針は、米国流の企業統治に基づく考え方で、明らかにこの時期にこの問題を克服する方法としては間違っていますし、今回の経済危機を乗り越える方針としてはあまりにもお粗末だと思います。
 これを期に、国内の消費を上げることにより、自律的に経済を再生させて今までの輸出依存の経済からの転換を図ることを期待したいのですが、、、。 しかし、ほんとに、欲しい物が無くなったのも事実ですね。 「ECO換え」というコマーシャルがありますが、もっと政治的に消費を将来方向で創造することを積極的にやるべきですね、この際。
 それにしても、「口だけ内閣」ですね。 高速道路料金でさえ、何も変わっていないけど、もうガソリンは安くなっています。 経済政策は時期を失したら何もならないのに,,,。

 ついでに、日経連の会長さん、失敗しましたね。 関連子会社の契約社員の打ち切りのあの発言はないでしょう!! 大分県とか、あそこらの仲介業者の株を上げる事に協力してしまって、結果として自分たちの評判を落としてしまった。 (仕事も無いのに雇うわけには行かないのは、事実ですが、それでチョン、は企業として一部のステークホールダーしか見ていないことを、白日の元に晒してしまいました。 いくら、米国駐在が長かったからとはいえ、無反省に米国流はいただけない)。