2008年7月31日木曜日

WTO交渉と農業問題

伏兵インドのお陰で決裂したみたいで、日本の大臣様にしてみれば「不利な条件を飲まされずに済んで、無事帰国できる」という事でしょうか。 しかし、WTOが決裂しても、別に日本の農業問題が解決したわけでもないので、喜んではいけないのです(いずれ、また同じ問題が襲いかかってくるのです。 その時、同じ大臣をやっていることはないので、今回の2大臣にとってみればよろしいのでしょうが)。
農業の規模拡大というと助成金で誘導する方法が考えられているみたいですが、何か地方の実態を理解していないように思われます。 農家を集約して、規模拡大した生産法人(株式会社)を作れば、資材購入、生産物販売の両面に渡って価格交渉力が備わり、今のような中間流通のマージンが50%以上といった悲惨な状況から農家を開放して、農家の生活レベルを上げる事が出来るのは自明の事であり、日本が農業を存続させる為に、規模拡大が必須であることも自明の事です。 しかし、農家を集約してしまうと、地方には多くの職を失う人が出てきますーそれも高齢の。 また、若年労働層の地方からの流出も増えるでしょう。 結果として、何の対策もなく、規模拡大を農業関連の助成金で進めれば、地方の荒廃に拍車をかける結果となります。 規模拡大ー>失業者の増大を考えれば、農業の規模拡大は、本質的には地方の雇用機会創出の問題なのだと思います。  農水省の小出しの助成金等ではなく、地方の活性化の為の総合的な施策の中で行われない限り実現することは難しい様に思われます。 道州制を含め、もっと明確な地方の役割を定めた上で長期的に事を進めて行く必要があるのではないでしょうか。 一体、どのくらいの政治家がこんな当たり前の事に言及したことがあるだろうか? (情けない日本の政治屋サンたち)。

そういえば、ベトナムはベトナム戦争に勝利してまもなく、何故か中国との国境を越えて戦争を始めようとしました(明確な理由は無かったように思います)。 これって、雇用問題?! 兵隊さんを多く抱える国(中国、ロシア、北朝鮮、、、)は、多分この軍人の雇用をどうするのかが適切に処理できない限り軍隊の縮小は出来ないし、軍隊を抱えていれば、たまには仕事してもらわなければならないので、戦争もしなければならないし、とっても頭の痛い存在となってしまうのですね。 軍隊は発展途上国にとっては、大変便利で簡単な雇用創出手段なのですよね。 でも、それに頼っていると軍隊が肥大化して、抑えられなくなって戦争になる。

そう、全ては 雇用の問題 として考えれば良いのでは?

今週の、カンブリア宮殿(テレビ東京)はすばらしかった。 86〜88歳のおばあさん達がパソコンに向かって、市況情報見たり、昨日までの自分の売上見たり、楽しそうにビジネスしている姿は、何か一つの方向性を示唆している様に思えました。 そう、「明日は、xxxと○○と××と、、、しなければ」と思って床につけることが人間にとって一番大切なのかもしれません。

2008年7月21日月曜日

農業の大規模化

言われて久しいこの課題、一向に解決する兆しは見られません。 何故でしょう?

 1)「俺の畑は、そのうち高値で商業地として売れる」という所有者の意識
  農道の整備が国の助成金で行われると、地域の土木業者が潤い、やがてその農道は、県道、国道へと格上げされ、隣接農地は商業用地として高値で売却される。 それが今までの農業政策の現実だったのではないでしょうか? これは、また地方の税収を増やすという意味において、地域の行政には反対する理由は無いはずです。 また、農地として相続、保有している限り、税率も低く、あまり負担にもならなかったのも事実です。 結果として、「天下国家の食料事情よりも、目先の収入と、目先の税収」が優先され、細切れの農地が散在する現状があるように思います。
  大規模商業施設が田舎に出来ても、誰が買い物に来るのでしょう? その人達の買い物の為の原資は何処から来るのでしょう? 車で遠くから来てくれるようなことは、これからはあまり望めない、とすれば、その近隣に住む人が顧客となるはずですから、その地域の経済の状態によって、この様な施設が出来るか否かは決まるはずですし、大規模施設であっても、大企業にとって撤退は、無い話ではありませんから、大規模商業施設にはそれを支える規模の経済がその地域で継続的に維持されることが必要でしょう。 さもなくば、一部地域に既に見られるように、幽霊屋敷と化した元商業施設のみが放置された、荒廃した田舎の風景のみが残ってしまいます。
  農業の助成金が出ていた頃、田舎はパチンコ屋のオンパレードでした。 (作らないことで収入を得ていれば、必然的に仕事の無い日中の時間を潰す必要があり、その為にはパチンコは恰好の遊び場だった?) しかし、そのパチンコ屋を支える経済規模がそこに無ければ、パチンコ屋も存続は出来ません。 最近の田舎はパチンコ屋さんも減ったと思いませんか?
  長期的な視野での資産運用を適切にアドバイスするような機能が田舎には必要な気がします(幼なじみや、農協の「なあ、なあ気分とは離れて、親身にアドバスできるような」)。 これは、地方自治、いや今の国家運営その物にも求められているのかもしれません。

 2)「先祖代々の土地を守る。 他人には渡すな、という遺言」
  土地の所有制度が確率されたのは明治に入ってからでしょうし、殆どの農家が土地を所有出来たのは第二次大戦後だと思われますので、先祖代々は、高々4ー5世代でしょう。 しかし、この精神的な壁は、そんなに簡単に破れるものでは無いことも事実です。
  従って、所有権を尊重した上で規模拡大を図って行く方策が必要だと考えられます。
  農林水産省は、来年度以降、農地の転用許可に規制強化をして行くつもりの様ですが、1)で述べたように、転用が起こる現場にこの規制強化で潤う人は一人もいない事実から、合法非合法を含め国が意図した通りになるとは思えませんし、国の勝手な考えで地域経済に大きな障害を作ってしまうことにもなりかねず、大いに問題があると思います。
  国は、「農地に農家を縛り付ける」事に労力を使うのではなく、「規模の大きい農業をやれば、それなりに儲かる」為の枠組みを用意して、農家を効率的な農業に誘導する事に労力を使うべきだと考えます。

 3)「国家の品格」としての農業
  今まで(大正時代にも同じようなことがあったようですが)、効率の悪い農業は開発途上国に任せて、ひたすら効率の良い工業立国を指向して来てそれなりの成功を納め、経済大国となったのは事実です。 しかし、このパターンはマハティールのLook Eastを始め、多くの開発途上国の手本となっているのも事実で、「ねずみ講」状態になり始めているのではないでしょうか? 最初を走った日本は良かったけど、いつまでもこれを続けて行けば破綻します。 もう、いい加減貧しい国から、札束でほっぺた叩きながら必要なものを調達してくる、西欧帝国主義的な文化について考え直す必要があると思います。 特に、水資源の乏しい国が途上国として残り、先進国への農産物の供給を担うパターンになりつつあり、FAOの耕作可能農地の面積から見ても、殆ど破綻している考え方です。
  水資源に恵まれている日本は、農業でもっと世界に貢献すべき時が来ていると思います。 (今、基軸通貨がEuroになったら? ドルがいきなり200円/$になったら、60%の食料を海外依存している日本の経済は壊滅的な影響を受けることを想像したことが無いのでしょうか、政治屋さん達は? 円安を喜ぶ株式市場や経営者にも疑問があります。 トヨタも、キャノンも日本から輸出しているより現地生産している方が多いはずで、直接円高が経営に大きな影響を及ぼすようには思えません。 今どき、そのような経営をしていれば、大企業にはなれません。 最近の言動を見ていると、国内の賃金を抑えるために意図的に、過去の円高不況のイメージを利用している様に思われてなりません。)
  戦時国家に人的援助で日本人の犠牲者を出すのではなく、もっと日本人が得意とする分野での世界貢献という意味で、農業技術支援と共に、国内での農業生産の効率化と輸出を真剣に考える時が来ていると思います。
  監督官庁である農水省がGAPの日本版を導入した事が如実に表している様に、「日本の農業は、世界を相手にする必要が無い」と最初から諦めている事が、全てを内向きにしてしまっている様に思えます。  
  嘘でもいいから、「10年後には、日本は政界一のジャポニカ米輸出国になる!」というスローガンを打ち上げて、政策として推し進めて行く気概のある政治家が出てきてほしいものです。


農業規模拡大への方策の提案;
 1)農業法人の株式会社化
  ただし、議決権ある株式と配当の為の株式を分離する。
   議決権のある株式: 法人経営体 4
            資金出資者 3
            土地出資者 3
   とし、 配当は資金と土地の出資者に対してのみ、それぞれの出資割合に応じて行う。
   すなわち、分配利益の50%を資金出資者の間で出資割合に応じて分配する。 土地出資者に対しても同様。

  通常の株式会社と同様、予算、決算に付いては議決権を有する株主の33%以上の合意が必要とし、経営方針や実績に対して問題があれば50。1%以上の同意で、経営者を解任することが出来る。 (予算,決算には当然、作付け作物と予想収入、従業員、法人役員の報酬、利益の配分ー内部留保もふくめーが含まれる)

  これにより、土地や資金の出資者が当事者として法人の経営を監視することが出来、またその経営が不適切であれば経営者を交代させることも出来、自分の収入に対して(地代という固定的な収入としてではなく)責任が発生することにより、土地所有者が勝手に離脱することにより、法人経営が成り立たなくなることを回避することが出来ます。
  個人的には、現在の農業法人がなかなか大きくなれないのは、法人のみがガンバり,地域社会と遊離してしまっていることにも問題があると感じています。 地域を支える物、地域の雇用を支える物、地域経済を支える物として、もっと地域と協力融和して行かないと、長期的には難しいでしょうし、その為の一定の利益配分も必要でしょう。

 2)規模拡大によるメリット
   資材購入コストの低減
     規模拡大により、大量購入とメーカからの直送が可能となり、流通コストとエネルギー消費の低減に繋がる。
   販路の独自開拓と価格の決定権    
     漁業者(70%が流通コストとして取られている)ほどでないにしても、40ー50%と考えられる中間流通コストの削減とともに生産物に対する生産者の責任の明確化が図れる。
   固定費の低減
     更なる大型機械の導入と効率化が可能となる
   リスク分散
     作付け作物の分散、多角化により、気象変動や相場によるリスクの低減、及び作期の短い作物の栽培を平行して行うことにより、Cash flowを改善できる。

 3)出資者が経営に参画することのメリット
   当事者意識をもって経営に参画することにより、農村地帯に「経営」という考え方を啓蒙することが出来る。 結果として、自己利益だけの為に離脱するような行為が行い難くなると共に、長期的視野での資産運用を考える習慣も身につけることができるようになる。 また、農業経営を今までと違った見方をすることが出来、より効率的な経営を協力的な環境で構築して行くことが出来る。
   (田舎には共同体意識が存在する様にいわれていますが、本来利己的な存在の人間が、共同作業を必要としていた昔の村社会には、厳しい規律でこれを維持していた歴史があります。 しかし、現在の村社会ー特に都市近郊ーでは、この様な文化は殆ど廃れてしまっており、村社会は会社人間などよりも利己的な存在で、これが規模拡大の大きな障害になっているように思われてなりません。 これを、解消する為には、「協力して一つの目標に向かうことにより、必ず自分の生活が良くなること」を経験してもらうことだと考えます。)

 4)問題点
   この様な企業経営を担うことの出来る人間が、農村地帯にいるか?
    農業の新規参入障壁は、設備投資とCash Flowを考えると極めて高いので、既存の農家が、経営的手腕を持った人を雇うなどしない限り、かなり難しいのかもしれません。
   会社として、法的に問題は無いか?
    議決権と、株式を切り離した株式会社は自己矛盾しているので、このままでは問題があるのかもしれません。
    しかし、資本金と土地の価値をどのように評価するのか? は大変難しい問題です。 特に土地の価値は、そこからの収益が上がれば変動してしまいますので、どこまでいっても公平な配分公式を見出すのは難しいのではないでしょうか? 
    どのようにしたら実現できるのか? 可能性はあるのか? については???

2008年7月14日月曜日

農薬取締法と農薬適用表

分かりにくい農薬のラベル表示
農薬取締法に基づき、農薬として販売される物には必ず、適用表が表示され、「適用作物」「使用時期」「使用量」「使用上の注意」等が示されています。また、この表示には「適用のある物は全て表示する」という制約があります。 輸送上の効率化や、農薬の機能の向上により、農薬は少量化が進んでいますが、結果として製品ラベルの表示領域が小さくなっており、また、PL法への対応等により注意事項も増えているために、実際のラベルは使用者が十分に読んで理解するような状態になっていない様に思います(実際、昔ラベルの記載内容のチェックをしたことがありますが、眼鏡をかけて、思いっきり明るくしないと読めませんでしたー高齢化が言われている農業者対象の物としては些か問題があるように思います。)
農薬取締法の目的から; 
 「農産物の消費者への安全』 ーーーーーーー> 「適用作物」「使用方法」「使用時期」と「使用量」
 「生産者(農家)への効能の担保」 ーーーーー> 「対象病害虫雑草」「使用方法」「使用時期」「使用濃度」
 「生産者(農家)への問題(薬害等)の回避」 ー> 「対象作物」「使用方法」「使用時期」「使用濃度」
と同じ「使用時期」一つを取ってみても、その目的とするものが複数あり、それを同時に満たしている必要がある事がわかります。

現在登録のある4311農薬の実際に使われている表現の種類数について調べてみると;
適用作物   :1,169
使用方法   :1,087
使用時期   :2,375
使用濃度   :1,437
適用病害虫雑草:1,413

ありました(句読点の違いなども含めて、異なるものの種類を集計)。

ここで「適用作物」を見てみますと、2008年7月時点で1169通りの表現があります。 また、最近、マシン油の薬害で問題になった「果樹類」や「樹木」といった大雑把な表現や、「なばな類(ただしなばなを除く)」と言った理解し難い表現があります。 この適用表を理解する為には元になる、作物残留基準の為の作物の分類表を理解している必要があります。 現在、新しい作物残留基準に合わせて、「適用作物」の表現が変更されつつあるようですが、残留基準ベースで、全ての適用可能な作物を適用表に入れることは、適用表が煩雑になり難しいと思われますが、使用者が理解できる何らかの中間的な分類が必要なのかもしれません。
また、消費安全技術センターから提示されている「登録に使用すべき作物名」では、実際に登録のある非食用の作物でも見つからない物が多く、あくまでも、農作物の消費者への安全をベースに作られたものだと理解されます。 この点、この表も現実の農薬登録に合わせて、拡張するなり整理するなりする必要があるように思います。
また、「果樹類」「樹木」「花木」「花卉」等大括りの適用作物表現の場合、ここでの使用の可否の判断は、あくまでも作物残留基準からの判断であり、薬害などの問題については言及していないと理解しておく必要があります(薬害は、適用作物だけでなく「使用時期」や「使用濃度」によっても変わります)。 これを間違うと、長野のマシン油でくるみの木を枯らしてしまうようなことになります。

 目的の違う事項が混在している事が、それぞれの項目の表現の種類を必要以上に多くしていることは理解できますが、この際、当事者である国と農薬メーカは「使用者(農家)が使いやすいー理解できるラベル」を実現するために、大幅な整理・改善をすることが必要なのではないでしょうか? 分かりにくいラベルも農薬を敵対視する世論を醸成する要素の一つだと思われます。 使用者の利便性の為ではなく、行政や農薬メーカの責任逃れの為のラベルだと言われてもやむを得ない状態だと思います。

 また、農薬の適用表ばかりでなく、適切な使用方法などを説明する補助的な手段として、もっとWEBを積極的に利用してメーカが死蔵している多くのデータを積極的に発信する必要があると考えます。 農薬メーカ各社がホームページで自社製品の適用表などを掲示している事は承知していますが、農家の「今、キャベツに虫が付いているんだけど、来週には出荷したいが、どんな農薬が使えるのか?」といった最もありそうな質問に答えられるようなものは、少なくとも無償では存在しないように思います。 出来れば、メーカ横断的に使える農薬と使用方法等が一覧表示され、個別の農薬をクリックするとそのメーカが提案するその作物へのその商品の上手な使い方や使用上の注意などが表示されたりすると、とっても役に立つのではないかと想像します。

 そんな、私の考える「役に立つWEB」を 「農薬・農業情報サポート」 に作って見ました(尤も、「上手な使い方」は私が書くわけには行きませんので、リンクが張れるようにして、口を開けて待っている状態で、夢半ばではありますが)。

2008年7月10日木曜日

農薬取締法(つづき)

前の、農薬取締法の「生物試験はメーカに任せろ」は、多分既存の財団法人とか、社団法人とか公務員の再就職先の問題で反対する人が多いのだと思いますが、これらの既存機関の本当の使命をもう一度考える必要があると思います(必要がない、ということではありません)。
元々、これらの機関は「試験法の統一」「試験の品質の向上と平準化」等を使命として作られてきたはずです(これ以外に、民から官へのお金の移動の為の機関という役割もありましたが)。 そして、この機能は現在今日でも依然として重要な物だと考えられます。 ただ、対象を官の試験研究機関だけではなく、民の試験研究機関にも拡張すれば良いだけです。
ここ10年の試験の品質を考えると、大変劣化していると思います。 メーカであっても、社内の基準はあっても、技術レベルの向上には他社との交流や、公開の場での客観的な評価が必要だと思います。
 そこで、提案。
 試験研究機関(生物試験)の評価基準を策定し、それに照らして、1〜3年に一回査定を行い、認証する、認証制度を設ける。
 この認証を得た研究機関のデータのみが、登録の取得の為のデータとして使用することが出来る。
 これら認証された機関が作成したデータは、従来どおり、公開の場での評価討議の対象とし,そこでの最終総合評価が登録内容に反映される。
 試験研究機関に付いては、公的、民間をとわず、認証を取得した機関とする。(これにより、認証取得機関の間での試験品質は保たれるし、全体としての向上にもつながる。 逆に、参加していないと、取り残される)。
 認証と試験成績討議、評価には、一定の経費を負担してもらう。 etc....

ま、全体として、生物試験のISO9000見たいなイメージで、認証機関としての「日本植物防疫協会」「日本植物調節剤協会」をイメージしています。 (何故,この二つが要るのか、一つではダメなのか? は、色々あるので、対象外とします。)

2008年7月1日火曜日

農薬取締法

世間で殆ど全てが悪の様に言われている「農薬」。 
これを規制している法律が農薬取締法です。 そこで、ちょっと調べてみると、
昭和23年7月1日に施行されており、
第1条の目的に
この法律は、農薬について登録の制度を設け、販売及び使用の規制等を行うことにより、農薬の品質の適正化とその安全かつ適正な使用の確保を図り、もつて農業生産の安定と国民の健康の保護に資するとともに、国民の生活環境の保全に寄与することを目的とする」 とあります。 
昭和23年の状況を考えると、実に広範な目的を包含した素晴らしい文章ではありますが、要するに、戦後の食料、資材不足のなか、「農薬」と称した紛い物商売が横行し農業生産に支障をきたしていたのを取り締まる為、農薬の生産と流通を規制するために作られた法律なのです。 (当時は「農薬」はプレミアム・ブランドだった!!)

その後、有機燐系の急性毒性の強い農薬の登場とか、レイチェルカーソンのサイレントスプリングによる有機塩素系の農薬の環境への影響、サリドマイド(医薬)による胎児への影響の確認による催奇形性試験等の長期毒性試験や発がん性試験の充実、また最近では食の安全への関心の高まりによる、作物群の細分化、環境面の規制の強化等、時代の要求に合わせて改正、拡充が図られています。

しかし、当初の目的が紛い物の規制であった法律ですので、その幹に色々貼り付けてみても、自ずと限界があるように思えます。 例えば、第2条(農薬の登録)は平成14年に全面改正されていますが、農薬の薬効・薬害の試験成績提出が残っています。
当初は、農薬としての効能を証明するため必須だったのでしょうが、今となっては製造物責任法とか、公正取引に関する法律と重複しているように思えます。 
 特に、この効果・薬害の試験に関しては、「公的機関」で確認される必要があるために、多くの時間と費用が掛かります。 特に、微妙なのは、作物と虫の組み合わせなので、キャベツのアブラムシの試験はキャベツのアブラムシにしかならない、ということです。 アブラムシにも色々ありますが、キャベツにつくアブラムシに効けば、白菜やレタスのアブラムシにも効くことは(一部例外があったとしても)容易に想像が付くと思いますが,法律ですので、それぞれに試験がなされ、効果が確認される事が必要です。
公的試験を管轄している所は、所管官庁との繋がりが強い所ですから、世に言う「天下り先」なのかもしれませんが、結果として、実に下らない試験を時間と経費と人をかけて毎年行う事になります。 試験を実際にやっている人にとっても、とってもつまらない試験のはずです。  

 農業のコスト低減で農薬の価格が常に取り上げられていますが、生産コストに占める割合は高々7%で、これがすべてタダになっても、コスト低減に繋がるとは思えませんが、本当に低減をしたいのなら、この様な法律について見直すべきではないだろうか、と思います。  効能として商品に謳った物が、効かなければ、不当表示でしょうし、農薬が効かなければ収量被害が出ますので、製造物責任にも問われる可能性があります。 従って,生物効果・薬害はメーカが自己責任で保証すべき事項ではないかと考えます。 公的試験については、結果責任を問われる事はありませんので、その意味でも、販売者が責任を持つ体制は、試験その物の品質向上にも繋がる、と考えられます。 (農薬が、必要な物として認められていた時代、公的試験を行う人達も非常にモラルが高く、意欲的で刺激された物です。 しかし、今の時代、「出来ればやりたくないけど、自分の研究の試験費の足しになるからしょうがないやる」意識の人達が多く、試験の品質は必ずしも高くないのが現実なので、公的試験がほんとに正しい考え方なのかは甚だ疑問なのです)

 国は、国民の安全に関わる、残留基準やそれを満たす為の収穫前処理日数の所をしっかりと試験・検査し、効果・薬害は当該メーカの試験データとその確認の為の一部の公的試験、といった役割分担をして効率化を図った方が、全てにとって良いのではないか、と思っているのですが、中々そのようにならないのは、公務員の再就職先の問題があるから? それとも法律の縄張り争いの問題?  

  農水省には、今後10ー20年の世界の食料事情、物価を勘案した、日本としての食料政策、農業生産政策(ひょっとしたら、再生産可能なエネルギーの生産供給計画も)などもっと重要な仕事に専念して欲しいのですが,、、。 少なくとも、これ以上「猫の目行政」と言われ無いようになってほしい!!