2008年5月31日土曜日

減反政策の見直し?

町村官房長官の「減反政策を見直す」発言が報じられていましたが、これはどのように日本農業に影響するのでしょうか?
これを契機に、日本農業がもっと耐性の強い若い人も職業の選択肢として積極的に選ぶ業種になって欲しいものです。 間違っても、民主党のような現状迎合主義(票熱め主義)に終わらずに、積極的な農業への転換点となって欲しいと期待します。
どう考えても、20世紀末から今までのような、豊かな食生活を日本人が満喫できる状況には無いのですから(為替レート、日本の産業の強さ、世界的な食料需給のどれも、悲観的な結論しか示さないように思えます。)

しかし、農業政策があまりにも近視眼的に行われてきていて、真面目な農家がその犠牲にされて、折角の大規模化の芽さえも潰されている現状には腹が立ちます。  大日本帝国の時代から、農水省(農務省)は、まともな事してこなかったのではないだろうか?

2008年5月18日日曜日

We社会とMe社会

昔の本で、大前健一氏の著作に表題のような本がありました。
趣旨は、日本は「全体の調和のなかで決定を下す」が,欧米では「個人の利益が決定的な要因となる」といった話だったと記憶しています。 しかし、この10ー20年の世の中見ていると、もうこの様な見方は日本に当てはまらないのでは?と思えます。
先日、21時のNHKのニュースで「食料自給率や世界の食料生産・供給」について話されていましたが,食費の高騰に対して「家庭菜園」で対応している主婦を紹介して、キャスターも「自分たちもやっている」的な好意的なコメントをしていましたが、これこそ「自分が良ければ、他はどうでも良い」という個人主義の典型では無いでしょうか? NHKという立場で、このような取り上げ方をすることには情けなさを感じます。
世界的に見れば、農地は増えず、生産性も大幅な向上は期待できず、人口は増え続けている、いわば「ゼロサム」の状況である以上、誰かが良い思いをすれば、誰かがヒモジイ思いをするのが現状であり、これは今後も変わらないでしょう。
従って,耕作放棄地を大量に作り出して、他の国から食料を輸入している我が国の状況は、重大な犯罪行為を世界に対して行っている、という自覚から日本の農業問題を考える必要がある物と思います。
四川省地震への援助・協力など一時的な対応だけでなく、常に天下国家のことを考えながら行動する個人を復活させるために、マスメディアが主導的な役割をして行く自覚を望みたいと思います。

アメリカから輸入した安っぽい「Me主義」が蔓延ってしまっている、今の日本では尊敬される国にもなれず、国連の常任理事国の資格も無いのではないでしょうか? ただ単にこの様な役割を金銭で買うというのには、疑問を感じてしまいます。

食料自給率と国内生産、、、

四川省地震やミャンマーのサイクロン被害は直接的な被害だけでなく、今後食料供給の観点から世界経済に大きな影響を与えるように思われます。  自給率の向上という、あくまでも自分たちの消費の為の生産という日本の農業生産の姿勢を、もう少し違った観点で考えるべき時が来ているのではないでしょうか?
 1)世界の農業生産可能面積は(arable land)増えない
   砂漠化、塩害、発展途上国の工業化等で世界的に農業生産可能面積は減ることはあっても、増えることはない。
 2)農業生産性が大きく増えることもない
   単位面積当たりの生産量が2倍、3倍になるような技術革新(GMOを含め)は知られていない。
   耐塩性の向上、成分組成を変えることによる飼料効率の向上等は、期待される技術革新だと思われ、特に飼料効率の向上は劇的に飼料生産に必要な面積を減らす可能性はある。
 3)世界の人口は増え続け、GDPが上がれば食の嗜好がより効率の悪い肉食へ移行する。
   結果として、食料が余ることはなく、外国に多くの食料を依存することは、相対的な貨幣価値や世界の生産と需給状況という誰も管理できない要素により、国内の食料価格を変動させることにつながり、結果として一国の経済運営に大きな影響を及ぼす。

 結果として:耕作可能な農地を耕作放棄地として利用しないことは、世界人民・国民に対する背信行為である。
      また、根拠の明確でない有機栽培等で、生産性を大幅に下げることも、同様である。

と言えるとおもいます。

 でも、だからといって儲からない(生活できるほどの収入にならない)農業を強要されるのはおかしい!!

これこそ政治や行政が解決すべき問題なのではないでしょうか? 残念ながら、政治や行政がそのようなビジョンを示しているのを拝見したことはありませんが,,,.。

そこで、私見;
 1)穀物(米、麦)については明確に栽培面積を設定する、ただし、設定値は、国内消費を上回っていること。
   米は200万Haとする。 50万Ha分が過剰となるが、1年間備蓄し、災害援助などに利用し、2年目にバイオエタノール原料として消費する。 買取価格は (米の相場平均ーバイオエタノール原料としての価格)/2+バイオエタノール原料価格とする。(価格差の半分を補填する)。 備蓄はあくまでも、工業原料としてであり、WTOの対象にならない?
 
   農家は、自立する為には規模拡大と反収の増加をはかる必要がある。ーー>より効率的な農業へのインセンティブ

 2)農地集約へのサポート
   農業委員会の廃止(農地解放の為に出来た組織が何故今も生きているの?)
   農業生産法人(株式会社)の、定款の雛形の設定
    (株式会社のような運営をイメージし、出資者ー農地、資本、労働ーが出資比率の応じて権利を持つ物として)
    議決権の最大値を農地30%、資本30%、法人40%として、土地所有者や資本出資者が一方的に法人の運営を
     コントロール出来ないようにする。
    農地提供の対価に対する配当金への課税の免除。
    農地出資者が農地を引き上げるときのルールの確立。
    農業生産法人への課税方法のルールの確立(内部留保への課税を一定期間免除するなりして、資本の蓄積を図る)
    農業生産法人の従業員の地位の明確化(パートタイムだけで構成されるようなことをさせないで、
     後継者を必ず作らせる)
    配当が少なければ、出資者は生産法人の代表者を解雇することが出来る(この場合,多分、経営者から出資者に
     立場が変わる)

 3)農地の所有権へのこだわり
   2)の方法で、所有者は出資者として相応の配当を受けることが出来、またその配当が少なければ、経営者を解雇する
   ことができることにより競争原理を持ち込むことが出来る。 所有の意識は明確になる。

   ただし,本来「先祖代々の土地」を持っている農家は多くなく、その面積も1Haを越えることはないはずです(農地解放により、地主でも農地としては1Ha以上は所有できなかった筈)。 また、殆どの農家は、マッカーサーが作り出した自作農家であり、先祖代々という表現は当たらないのではないでしょうか?  更に遡れば、戦前の地主でも、大半は江戸時代に農地の所有権を持っていたとは考えられません(管理責任は持っていたのでしょうが、所有権はその土地の殿様にも無かった、と考えた方が適当な解釈だと思いますー領地換えとか、取り潰しがあったのだから)。

   従って,「先祖代々、、、」という心情的な主張に付いては、どこかの時点で適切にその誤解をとく必要があると思います。

 4)農業は家族経営が基本?
   農水大臣もこれにこだわっていた様に聞いていますが、本当にそうだろうか?
   「農家の子供は、出来が良くても悪くても、好きでも嫌いでも農家」という発想自体戦前の意識を踏襲していて、
   日本国憲法にある「職業の選択の自由」に抵触する可能性もあるのではないでしょうか?
   このような、戦前からの意識で無意識に引きずっている物に付いても、見直してゆくことが必要なのではないでしょうか。

国の責任ある方々が、現在の農業の矛盾を果敢に改革してくれることを切に望んでいます。